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家主の過去・現在・未来。

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今植えているジュリアンです。


今年は卯年です。ワタクシ、年女です。
タイとかあっち方面で生まれていたら、猫年だったようです。

(今日はかなり長文の上、いつも以上に内容がありませんのでスルーOK。個人的な書き止めです)

自分の干支が回ってきたからか何なのか、
なぜか自分の過去・現在・未来について少し書いておきたくなりました。
こんな事を書いておきたくなるのは、何かあるからでしょうか?・・・
それとも、最近色んなことがありすぎて、
一度私って何なのか振り返ってみたくなったのでしょうか?・・・

出生は大阪東淀川区。淀川キリスト病院。蟹座O型。一人っ子。
4歳頃に現在の市に引越し。
一人っ子だったので、引っ込み思案だった。今も大して変わらないかも。
幼稚園児時代の12月に突然ピアノを習いたいと親に言う。
周囲の子達がみんな習っていたから。単にそれだけの理由。
最初はオルガンで練習開始。
ピアノを買ってもらえたのは小学一年の夏。
子供の頃からショパンが好きだったけど、
勉強はバッハとかモーツァルトとかハイドンとかベートーベン。
8年半のレッスンの中で最後にステージで弾いたのがショパンの「幻想即興曲」だった。
たった1回だけだった。

引っ込み思案で話しベタだったのが、小学5~6年で激変し、
友達とつるんでなぜか「ロミオとジュリエット」を上演することになる。
6人でやったので、1人3役掛け持ちとか(笑)
音楽も舞台背景も衣装も自力で用意。
先生に掛け合って、体育館で上演の許可を貰い、クラスのみんなに鑑賞してもらった。
それがかなり好評で、参加人数が増え、2作目は当時大ヒットしていた「ベルサイユのバラ」に決定。
しかし、役の取り合いで文句を言うクラスメートが出て、結局立ち消えになり卒業~(笑)

中学・高校とまた引っ込み思案に逆戻り。
ピアノは中学3年の夏でやめてしまう。
クラブ活動、特に意欲もなく。
中一の時「エースを狙え」に感化されたクラスメートに誘われてテニス部へ入るが、
2ヶ月の基礎訓練(うさぎ跳びとか往復ダッシュとか)で飽きて止める。
しかし、その2ヶ月の基礎訓練が奇跡を起こしたのか?
校内陸上競技大会の200メートル走に無理矢理出され、
当時大阪府内2位の他クラスの子と決勝戦で争い、なぜか優勝・・・(笑)
でも、タイムは遅かったので、きっと彼女の体調不良のせいで私が勝ったのだと思う。

高校は普通科。芸術選択はもちろん音楽。
小学校の頃より美術・工作・家庭科関連まるっきり才能なし。
ピアノをやめて3年近くなるのに、
音大を受験する子達から「一緒に受験しよう」と誘われる。
「そんなアホな」と断る。
音楽の授業の歌のテストで、音楽クラス全員分の伴奏をさせられる。
自分の歌はオマケしてもらえるかと思ったが、それは関係なく歌の試験は当然受けさせられた。

英語・国語・音楽は成績が良かったが、
数学・物理など数字が並ぶものは極端に悪かった。
社会関係も苦手。
小学生の頃、国語の漢字テストで、100点満点中108点を得る。
習っていない漢字の「薔薇」を関係ない箇所に落書きで書いたから。
ひとえに「ベルサイユのバラ(薔薇)」のお陰である。
答案用紙に落書きしたのは高校生の頃もあった。
用紙の裏に「風神の門」のドラマの出演者やら役名をずらずら書いた。
返ってきた答案用紙には、先生から赤ペンで丸が付けられてあった(笑)
先生も観ていたと思われる。

16歳の頃、自分で思い立ってキリスト教会(プロテスタント)へ行く。
礼拝を受け、親の猛反対を受けながらも、半年後ヨルダン川の水で洗礼を受ける。
よく聞かれることがありますが、プロテスタントの場合、クリスチャンネームはありません。
ただ、名前の下に「兄」や「姉」が付いて表記されます。

高校卒業後、推薦で某短大の国文科へ行く。
同じクラスになった子と演劇の勉強がしたいね~と盛り上がり、
19歳の時大阪市内の演劇スクールに一緒に通うようになる。
1年レッスンに通ったが、終わる頃にはなぜかとっても冷めてきたので、
継続しないことにした。
レッスン中、勉強と言う名目でエキストラに行かされる。
出演したのは、NHKの水曜時代劇で「壬生の恋歌」・・・だっけ?
杉田かおるさんや三田村邦彦さんと一緒だった。
三田村さんは背が高くて、ニコニコしていた。

短大を卒業後、会社の事務職は死んでもやりたくない、向いてないと思っていたので就職せず。
就職課の先生から呼び出しを食らったけど、向いてないしやりたくないとごねる。
卒業後2ヶ月ほど家でプー状態。
そろそろバイトでもしないとまずいなァと思い、町へブラブラ仕事を探しに出る。
そこで見つけたバイトが、これまた大の苦手のスポーツ店。
そこで即決でバイトが決まってしまい、3年8ヶ月勤めることに。
当時、PL高校生だった立浪選手や橋本選手が甲子園が終わるたびに来ていた。
橋本君はジャイアンツの2軍に入ったがその後どうなったか・・・?
足のサイズが29センチで、すごく大きくて在庫がありません!と言った記憶がある(笑)

店の環境が次第に悪くなってきたので、そろそろ辞めたいなと思い始めて、
すぐに辞めて次の仕事が見つかるまでプーなのも嫌なので、
最後の2ヶ月は歯科助手の仕事と掛け持ちで、1日の休みもなく過ごした。
スポーツ店を辞めて歯科助手(正確には資格がないので見習い)として勤めだしたが、
ここの歯科医の奥さんの性格が、とにかく酷いもので、
バタバタと先輩達が辞めていく。
私も被害にあったので、結局半年も居なかったように思う。
辞める時、あまりに腹立たしい理由で辞めることにしたので、
履いていたナースシューズを玄関に投げつけて辞めた私です(笑)

その頃と前後してヴォイストレーニングに通うようになる。
後に夫となる人から紹介された先生が、高槻ジャズフェスティバルの主催者。
ダラダラと行ったり休んだりで、20年ほど教えて頂いた。
ステージにも何度か立ったが、毎回緊張するのでもうああいうのは辛いなァと思う。
途中、梅田にある「エスカイヤクラブ」という会員制のクラブのピアノ弾きのトラに借り出され、
2度ほど仕事に行く。
その後、宝塚ホテルでのピアノ弾きの仕事も入ったが、
車に乗れない私が深夜にどうやって帰る?と思ってお断りした。
夜の仕事は向いてない。雰囲気が合わない。

4年ほど前、「もう来られないかも知れません」と先生に言ったが、
「まあまあ、またその気になったらおいでや」と言われ、
ちゃんとした退学届けもなにも無いまま今日に至る。
でも、もう本当に行くことは出来ないだろうと思っている。

歯科助手を辞めて、さあ、どうしようと思い、
ワープロ教室(富士通)の一ヶ月集中コースに通う。
終了間近、面接を受けて下さいと講師から呼び出され、
この教室の講師になりませんか?と言われ、その面接だった。
ヨーロッパ研修もありますよと言われたが、海外が苦手なので断った。

帰り道、見知らぬ女性から声をかけられ、何かと思うと、
「住友生命の〇〇所の所長です」と名刺を出された。
保険セールスレディとして、うちで働きませんか?というスカウトだった。
数字関係が苦手なので断った。

ワープロ講師の道を蹴ったので、その教室の就職課のお世話で、
一般企業を何社か面接させて頂いた。
ヘリコプターを販売する会社もあった。
でも、とっても暗かった(雰囲気が)。
1年に4台売るだけでいい仕事で、経理事務だったかな。
とっても暗くて遠かったし、ここにずっと勤めるのはどうしても無理だと思い断った。
最後に行かされたのは、旭硝子の100%出資子会社だった。
たった1人の求人枠だった。
「厳しいところで煩いから、服装には注意して下さい」と言われ、
平々凡々の服を着て面接に行き、部長さんと会った。
今でもその時のマヌケな面接での回答を記憶している。
部長さんが「お給料は幾ら欲しいですか?」と聞かれたので、
以前働いていたスポーツ店のバイト料が10万だったので、
「11万円あったら大丈夫です」と欲の無い回答をしてしまった。
今思うと・・・バブルの後期だったろうその時期に11万という月給で良かったのかどうなのか?
でも、一般的なサラリーを全然知らなかったのだからしょうがないな。

結局、その日の夕方には電話が掛かってきて、翌日から来てくださいと言われた。

配属先は工務部積算課。
社員の中で女性は4人。経理に2人。他の部に1人。工務課に私。
工務課初の女性とのことで、社内では採用に猛反対だったとか。
女に何が出来ると。国文科卒で建築の資格もないのにと。
確かにねぇ。図面なんて知らないもんねぇ。
私もどんな仕事をさせられるのか知らんかったもんねぇ。

4年3ヶ月在籍したが、海遊館や横浜ランドマークタワーや、
足立美術館や花博など、大きな仕事の見積もりを担当させてもらった。
2年目には図面もある程度読めるようになっていたし、
電卓を打つスピードはピアノのお陰で猛烈に早かったので、
私は工務課で結構役に立ったらしい(笑)
良かった。最初のみんなの意見が外れて。

4年3ヶ月在籍した間に私が担当した工事見積もりは2500件以上に上る。
今思うと、大変だったけど面白い経験だったなと。
もちろん毎年給料は上がり、ボーナス査定では社内で一番になったこともあった。
それくらい沢山働かされた(笑)


29歳で結婚を前に退社。
1年間家事手伝いをして、30歳になって結婚。

それからの事は、ちょくちょくここに書いてきました。

最近、思います。
高校の友達が以前会った時に私に言いました。
「〇子はやりたいと思ったことをすぐにやってしまう。羨ましい。私も思いきってやっておけばよかったと思うことが一杯ある」

やったことが継続出来てるか?と言われると、Yesと言えないことばかりなんですけど、
引っ込み思案の癖に、好奇心は旺盛で、言い出したら聞かない性格なんですね、昔から。

これって、本当は引っ込み思案じゃないってことなのかな。

50歳まであと2年です。

残された時間も少ないなと思ってしまいます。
40代と聞くと、まだ若いと年配の方から言われはしますが、
50歳手前になると、長く生きられてもあと30年ちょっと?と。
自分が生きてきた年数より、残りの年数が短くなったことを思うのです。

何をしてきたんだろうなあ。
今、私は何をしたいんだろうな。
これから何を目指して行きたいんだろうな。

ここ数日ずっと考えています。

今の生活は続けていかねばならないでしょうが(暫くは)、
今後は本当にどうなるかわかりません。

そんな中でも、自分がどう生きて頑張ってきたか。
何か一つでもいいから形に残したい。そう思うようになりました。
それは仕事でもなく、家のことでもなく。
自分が本当に好きな物で。

なので、ピアノの演奏を記録しておくことにしました。
自分で納得できる演奏が出来たら、DVDに残して、
テレビでもパソコンでも観られるようにと。
納得と言っても、当然レベルは低いです。
でも、これから先、何年ピアノを弾いていられるか分からないし、
年を取って、また環境も変わってピアノが弾けない生活になってしまった時、
あの頃は一生懸命情熱を注いでいたんだよと、
自分に言ってあげたいし、私より長生きしそうな?お友達に送りつけておくかもしれません。
形見ですよね。これってね。

子供も残せなかったし、仕事の成果も残せないし、
私を覚えていてくれる人もどんどん居なくなるし、
自分で自分がどういう人間だったか、私自身が忘れてしまうかもしれません。

だから、今一番楽しいと思える時間そのものを記録しておきたくなりました。

これからの数年はこれに費やすだろうと思います(^^)

・・・と、長々としょうもないことを綴ってしまいました。


sandy148.jpg

ピアノにしろ、歌にしろ、私にとって一番厳しい観客だったのはサンディでした。
上手いときは目を閉じて聴いていますが、
間違ったり、練習を断念したりすると、「ニャ~~!」といつも一声唸りましたね。

今、一生懸命練習しているピアノ。
サンディに届けばいいなと思いながら、熱を入れて頑張っています。
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テーマ : 今日のつぶやき   ジャンル : 日記

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プロフィール
HP「サン・チョボ家へようこそ」

家主です。

Author:家主です。
家猫6匹+庭猫5匹の母業にいそしむ猫バカです。愛玩動物飼養管理士1級です。でも 落ちこぼれなので あんまり質問しないでね(笑)
関西在住。趣味はピアノ(ショパン大好き!)歌うこと・旅行・食べること!
でも、キュウリとアンコは嫌いです(笑)
好きなピアニストは クリスティアン・ツィメルマンとマウリツィオ・ポリーニ。こんな私ですがよろしくお願いいたします☆

サンディ
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