
北海道3日目。10月12日(日)の様子です。今日も文章が長くなります。ごめんなさい。
これはお宿の朝ごはん。朝ごはんは部屋食ではありません。
部屋食の朝ごはん、長らく食べてないように思います。
最近、ずーっと朝は食堂へ行かされています。昔は部屋食が結構あったのにな。
ま、それはそれとして。朝ごはんもいろいろ豪華で、美味しかったです。
イカが大好きなので、朝からイカ刺しがついてて嬉しかったなぁ。
さて。前日宿まで送ってもらったタクシーの運転手さんに、
この日の朝のお迎えもお願いしていました。
そうしておいてよかったのです。
宿に着いた時、フロントの方から、「翌朝の送迎は9時半に一本だけバスを出しますがどうされますか?」
と聞かれたのですが、それでは遅かったからです。
タクシーをあらかじめ頼んでおいて正解でした。
そのタクシーに乗って小樽駅へ。
運転手さんのお話では、ここ最近の小樽は年寄りの町になってしまったとのことです。
若い人達は札幌へ仕事に出、小樽へなかなか帰ってこないのだとか。
さびれてしまってね〜・・・と、運転手さんはさびしそうでした。
確かに、この日、町を見ていても若い人はあまり見ませんでした。
観光客の若者は別として。町に根付く若い人達がいないと、だんだんさびれてしまいますよね。
私達が訪れた15年前の小樽は、もっと良かった・・・と運転手さんが言っていました。
小樽駅に到着後、伊達紋別へ向かう列車の中で食べるべく、
お昼用に駅弁を買いました。
列車に乗り込み、午前11時を少し回ったところで駅弁オ〜プン♪

「小樽燻煙鯖棒寿し」。にしんもありました。迷ったけど、鯖をチョイス。

あら。なんとさっぱりとした・・・内容でしょう(笑)
鯖寿しは普通、表を昆布で巻いたものが多いですが、これは海苔巻きです。
では一口。
「う、う、うんめぇ〜〜〜〜!!!」
鯖に脂が乗ってるのは言うまでもありませんが、
この「燻煙」という文字はまったくその通り。鼻から、口から燻製の香りが溢れ出しました。
見た目は地味だけど、めっちゃ美味しいです!
燻製食品がお好きな方にはたまらないはず。
美味しい駅弁を食べて、いよいよ伊達紋別へ到着。お天気は快晴です。

伊達紋別駅に着いて、早速「伊達市 開拓記念館」へ向かいました。
ところが・・・
私は、事前に夫が開拓記念館の位置をしっかり把握してくれてると思ってたのに、
夫はあまりよく地図を見てなかったそうで、
とりあえず、「伊達街道」方面だろうと、見当をつけて歩いていたのです。
ところが、なかなか辿り着きません。
ヤバイ・・・ここでは2時間弱しか時間がない。
もう40分くらい経っちゃったよ〜〜。駅からこんなに距離があったっけ?
でも、やっぱり出発の電車に間に合いそうにありません。
途中で諦めて、駅に引き返しました。
「ここまで来たのに・・・伊達紋別はもう来ることがないかもしれないのに。あ〜あ・・・何のために来たのやら」
疲れたので、駅に戻る途中にあるスーパーの駐車場で、一服しながらがっかりしていました。
すると、その駐車場に一台の空のタクシーが止まっているのを見つけたのです。
「あれに乗ったら多少は記念館が見られるかも!」
それで、タクシーに乗って、
「すみません!開拓記念館へ!」
すると、運転手さんは「記念館ね。すぐそこですよ〜」
ブブーとタクシーが発車して2分後。到着・・・へ?
私達は結構近くまで行ってたんですよね(笑)
初乗り料金は470円のタクシーですが、払ったお金は560円。
申し訳なかぁ〜。お釣りはいいです、と言って降りました。

ついに着いた!開拓記念館。
では、ここで、私がなぜこの場所に来たかったかをお話しましょう。
私の母の母。つまり祖母ですが、豊子さんと言います。
その豊子婆ちゃんのお母さんの元旦那さん(離婚したから)のお父さん、
つまり豊子婆ちゃんにとってはお爺ちゃん、母にとってはひい爺ちゃん、
私にとってはひいひい爺ちゃんに当たるその人が、開拓団としてここに来たのです。
苗字は中島です。でも下の名前はわかっていません。
なぜかというと、豊子婆ちゃんは、もうとっくの昔に亡くなっているからです。
生きていれば直接名前を聞き出せたと思いますが。
その中島爺ちゃんは、伊達藩の開拓団の一員としてやってきたことは確からしいです。
御家老と一緒にやってきたこともわかっていました。
その中島爺ちゃんのことが、もう少し何かわかったら面白いのにな〜。
これが私がここに来た理由です。
中島爺ちゃんは、その後ももちろん北海道に住み続け、
豊子婆ちゃんも富良野で生まれ・・・
私には北海道人、開拓民の血が入ってたんだな〜と知って、ちょっと不思議な感じがしました。
北海道は旅行に行く場所であって、自分のルーツに関係のある土地とは思ってなかったからです。
その話を、乗馬でお世話になったOさんに話した時、
「ルーツを辿ってみると面白いもんですよね〜!」と言ってらっしゃいました。
確かにそう思います。戸籍謄本で辿れることももちろんあるけど、
自分の足で歩いて辿ってみるって、また格別の思いが生まれてきます。

こちらは、古びた建物ですが「迎賓館」なんですよ。
中を見られたのかも知れませんが、時間がないのですっ飛ばし・・・

ここが記念館です。とても小さな建物です。
中には、開拓に関する資料、道具、開拓に来た伊達藩のお殿様(仙台ではないようです)の
大きな立派な雛飾りも展示されてました。金太郎も並んでました、雛壇に。
入り口に地図があって、開拓当時、加わった人達がどういう並びで住んでたか?
みたいな地図でした。
中島を探しました。ありました。1つだけそこには載っていました。
中島英記とありました。この人なのかなあ・・・?
他に資料は無いのかな〜と思っていると、夫がなにやら記録文書みたいなものを見つけました。
やはり入り口に置いてあったのです。
それを見て、「この中島さんなのかなあ〜他にも中島さんっていたんだろうか?」
とぶつぶつ言ってるのを聞いた、記念館の職員さんが近寄ってこられて、
「どなたかお探しですか?」と訊かれました。
実は・・・とわけを話すと・・・
「ちょっと待ってください。この中島さんなら詳しいことが結構解ってますから」
と、奥から資料を持ってきて、一生懸命調べ始めたんです。
正直びっくりしました(^^;)
え?その場でいろいろ調べてもらえるんだ?
結果として英記さんについて教えてもらったことは、
明治3年8月に開拓第2弾として伊達にきたこと。
元々が伊達藩の侍ではなく、仙台に近い福島県の新地御家中出身で、
伊達藩が何かの必要があって侍を募集した時に、
640文で雇われ、家老と一緒にやってきたそうです。
末永町という所に入ったことまで記録にありました。(末永町って今でもあるんでしょうか)
それと、調べていると、もう一人中島さんが見つかりました。
中嶋源三さん。この人は明治3年4月に第1弾として伊達にきたようですが、
それ以外の記録はないそうです。
職員さんの話によると、「家老と一緒に来たのなら、まず英記さんの方が可能性が高いです」
なぜなら、英記さんが来た第2弾の時に、御家老が伊達に来ているからだそうで。
そうなのか〜。もしかしたら、この英記さんがひいひい爺ちゃんなのかぁ?
100%断定は難しいのですが、そうなのかもしれないって思うと、
来た甲斐があったかな〜と、ちょっと嬉しくなりました。
菩提寺とか解ればいいんですけどね〜と職員さんに言われましたが、
何せ名前を知ってたはずの豊子婆ちゃんは亡くなってるし、
婆ちゃんの両親も離婚してるし、その離婚したお父さんのお父さんだから、
親戚付き合いが続いてない限り、菩提寺までわかるわけもありません。
ましてや、私は大阪生まれの大阪育ちだもんで・・・
でも、ここまで教えてもらえるとは思ってなかったので、
親切な職員さんに感謝です。
この職員さんは、そりゃもう、すごい勢いで資料をめくって中島姓をチェックしてましたから(^^)
今現在、解ること全てを教えてくださいました。
私のように、自分の先祖のルーツを探しに、ここへ来た人もいるかもしれませんね。
そして、きっとあの職員さんは、そのたび一生懸命探してあげてらっしゃるのでしょう。
先祖かもしれない人の記録が残ってるのは、なんとなく嬉しい気がします。
英記さんがそうだとしたら・・・の話になってしまいますけどね(^^;)
いつか戸籍を辿ってみたいと思いますけど、
あれって、亡くなって80年経ったら処分されてしまってるんですってね。
今となっては、調べられないのかもしれません。
お話を聞かせていただいて、ちょうど良い時間となりました。
帰りのタクシーは、乗せてくださった運転手さんが、
「うちの営業所がすぐ傍にあるから」と言ってらしたので、
そこへ飛び込んで、「駅までお願いしまーす」とお願いしました。
こうやって、伊達紋別での短い滞在は終わりました。
2時間だけの滞在でしたが、運よくタクシーを見つけたお陰で記念館に行けて、
先祖かもしれない人の名前を知り、どこから来た人かもわかり、
私としては、自分で調べるという目的を多少は果たせた気がしています。
このためだけに、伊達紋別まで来たんですから。
私はお爺ちゃんという存在を今まで知りません。
母方のお爺ちゃんは、私が生まれた時には居なかったし、
父方も居なかったと思います。
だから、ひいひい爺ちゃんを探して旅をするなんて。ちょっと面白いですよね。
さて。急ぎタクシーに乗って駅へ向かいました。
駅に着いてタクシーを降りた途端、斜め前の交差点で、どえらい音が!
車が何かにぶつかったようで、左の後部ドアがぼっこりへこんでました。
あれ?すれ違った車に当て逃げされた?
それとも、自損事故?
それがね〜目の前に交番があったんですよ。おまわりさんがすっ飛んできました。
目撃者から話を聞くおまわりさん。
あれま〜と目を丸くしてる私達。
交番の前で、運が良いのか悪いのか。
乗ってた人達に怪我はなかったようですけどね。
さ。伊達紋別を出たら、その足で今度は地球岬でございます。
目指すは母恋駅。これ「ははこい駅」だとばかり思ってました。
「ぼこい駅」って読むんですね(^^;)
では、地球岬のお話はまた次回といたしましょう。
自分のルーツをたどっての旅でしたか。
記念館のおじさんに、親切に探してもらえてよかったですね。
北海道に先祖がいるって、ステキですね。
昔の北海道は、開拓で大変だったでしょうが・・・
北海道の人は、人がいいでしょう?!
私が北海道が好きなのは、それもあるんです。
それにしても、凄い強行突破のスケジュールですね。
今度は地球岬ですか^^
楽しみにしていますねヾ(@^▽^@)ノ
旅の思い出は早くも6話目になりましたね。
開拓記念館、ちゃんと訪問できてなによりでしたね。
親切にてきぱきと資料を調べてくれた職員さんには感謝ですね。
こういう場所には、こんな方にいて欲しいものです。
ひいひいお爺さんらしき人の足跡に出会えて本当に良かったですね。
前日のホテルでは、家主さんの温泉サービス・ショットが又拝見できるかと期待しましたが・・・
ひょっとして動画でもあるのでしょうか?(笑)
白ワインにピッタリな美味しそうなお料理がずらりでしたね。
ハーフ・ボトルなら私一人で空けてしまいますよ♪
白ワイン党で、毎晩飲んでいます。
のんべえというわけでもないのですが、ちょっと飲むと食欲が出るので。
寝言で叫ぶほど腹の立つ夢・・・前日の美味しくない海鮮丼の夢?
昨日頂いたお土産を、ブログにアップしてきました。
甘エビの燻製ですが、猫がかすかに鼻をクンクンさせてましたので、すぐ冷蔵庫行き。
ありがとうございました。
私なんて、祖父母より先は全く知りません。
というか、聞いた事がないかも。
今は母もいないので、名前すらわかりません。
うちの母も「とよ子」と言います。
昔はとよこという名前、多かったんですかね〜。
開拓記念館、無事つけて良かったですね。
それを目当てに行っているのに、行けなかったら・・・
私は開拓記念館の存在すら知りませんでした。
もしかしたら、中島英記さんが先祖かもしれないんですね。
今は小樽でも、若い人が少なくなってきているんですね。
若い人は都会に出ちゃうから、どんどん地方と都会との格差が広がってしまうのか・・・寂しい現実ですね。
私、地球岬って知りませんでしたので、楽しみです。
おはようございます♪
あ、ごめんなさい。文章の中に書かなかったのですが、
職員さんは女性の方です(^^;)
こちらが圧倒されるほど、てきぱきと調べてくださいました。
この人が本当にひいひい爺ちゃんだったらいいな〜
そう思って帰ってきました。
なかなか楽しいものですね、こうやって少しでも手がかりを探すって。
北海道の方は、確かにみなさん優しかったです(^^)
タクシーの運転手さんも、良い方ばかりでしたし。
Hちゃんにも言ったのですが、
土地が広大な分、心も広くておおらかな感じがするね〜って。
環境が人を育てるといいますが、北海道に住んだら私ももっとおおらかになれそうな気がします♪住みたい・・・(笑)
おはようございます♪
ここへ来るのが一つの夢でした。
小さい記念館だし、大して資料も無いだろうと思ってましたけど、
少しでもそれらしい手がかりがつかめて、訪ねてよかったと思っています(^^)
え?私のサービスショットですかぁ〜〜〜!(笑)
確かに・・・伊豆に行った時も、この前の熊本でも、
サービスショット(バックショットですが)はありましたからねぇ。
今度のお風呂はね、後ろから撮れなかったんですよ(笑)
いや、撮る気があったわけではありませんよ?(爆)
ぷりんさんもワインがお好きなんですね。
私は下戸ですが、かろじて白ワインは小さなグラスにちょっとだけ飲めるようになりました。
それでもまっかっかになってしまいますが。
寝言はね〜思い出しましたが、食べ物関係でした!はい!
冷蔵庫にあったはずのハンバーグが無いので怒ったんです・・・
どういう夢なんでしょう、まったく。
ここまで食い意地が張ってるとは思いませんでした(苦笑)
おはようございます♪
ああ、やっぱり・・・反応しましたか(笑)
一言付け加えておいてよかったです。
私もね、あんまり知らないんですよ、父方の先祖とか母方の先祖とか。
母方に関しては、まあ少しはわかった気がしますが・・・
私は兄弟もいないし、母ももう一人だし、親戚は遠いし、
あまり縁がないというか・・・
でも、こういうことをしてみると、会ったことがないご先祖(可能性が高い)に少しは触れられた気がしますね(^^)
小樽は観光の名所なのに、すたれてきたとは残念な話です。
やはり活気がないと、来てもさびしくてつまんない印象が残ってしまいますよね。
何か楽しいイベントや産業を興せたらいいのでしょうが。
美味しいものもいっぱいあるんだし!
地球岬は、私も名前しか知らなくて。
でも、この名前の通り素敵な景色でしたよ。
残念賞のお土産、ありがとうゴザイマシタ^^
おなかを抱えて笑っちゃいました!!
家主さん、ユーモアのセンス抜群ですヾ(@^▽^@)ノ
で、ブログにアップさせていただいたのですが
どうしても、ピンボケにしか写らないのです。
大変申し訳ないです。
後の4つの石鹸のネーミングが気になるぴあのでした。(笑)
こんばんは♪
アップしてくださってありがとうございました(^^)
面白いでしょう?(笑)
見つけた時、私も大笑いしました!
同じものが揃ったら良かったんだけど、数が足りなくて・・・
どれを送っても、ある意味「嫌味?」に取られそうで、どうしよう〜ってすごく悩んじゃったんですけどね(笑)
決して他意はございませんから!(笑)
本当にあったら、嬉しいんだけどね〜過去を洗い流せる石鹸!
実は、私も数年前に、似たようなことをしたものですから。
豊子おばあちゃんの戸籍謄本は取り寄せられるはずですので、
それにご両親の名前が載っています。
私も祖父の戸籍謄本を取り寄せて、そのルーツを調べました。
家主さんと違って、私は北海道育ちなので、祖先がどこから来たかを知りたかったのですが、父も祖父母も他界してますので、戸籍から調べました。
そして、驚いたことに、辿り着いた先は、今、住んでいる所の
すぐ近くの四日市の先、東員町というところでした。
そこまで、分かって、車で出かけて、まったく偶然、先祖の墓を見つけて
驚きの連続で、姉弟に興奮して電話したら「ふ〜ん・・・。」
ゼンゼン、興味ナシ!で、ガックリ。
なので、家主さんのを読んで、同類のようで嬉しかったです。(^^)
曽祖父母が、富良野からはるばる、お伊勢参りに来て、
故郷に錦を飾るってんで、その親と先祖のお墓を
(まるで、記念碑のような物でした!)、こちらに建立したということが、刻まれていました。
お〜!ばあやさんも、同じようにご先祖様のことをお調べになったんですね!!
そうですね〜時間が出来たら、豊子婆ちゃんの戸籍を取り寄せることをやってみましょうか(^^)
私ね、うかつなことに・・・開拓記念館で、中島英記さんの奥さんと子供の名前を控えるのを忘れたんです。
英記さんの子供が男だったら、豊子婆ちゃんのお父さんですからね。それもわかりますよね、謄本で。
しかし、探し当てた結果が、すごく近くからいらしてたってのが凄い!
なんだか目に見えない糸がつながってるって感じがしますね(^^)
お墓も、偶然じゃなかったかもしれませんよ!
ここまで探し当ててくれてありがとう!って、ご先祖様の目に見えないお導きがあったかも♪
お姉さま、あまり反応されなかったんですね(笑)
実は私の母もそうでしたよ。
開拓記念館に行って、これこれこういう話まで聞けたよって言っても、
「それはそれは」って(笑)
幕末の先祖って、もうすでに遠い存在なのでしょうかねぇ。
でも、こういうのを辿ってみるって、すごく面白い体験が出来ました。
それに、もっと詳しくわかる日が来るかもしれませんよね(^^)
ネットで中島英記さんを入れたらヒットしたのでちょっとビックリ。
じつは私の母の曾おじいさんが中島英記さんです。
私も自分のルーツを探りに28日に福島の新地町に行って来たばかりで、中島英記さんの屋敷跡だったんじゃないかという敷地をみてきました。
私の母は旧姓中島で、ある程度のところまでは調べてあります。
名前等がわかればいろいろとつながりがわかるかもしれませんね。
今回、なぜ新地に行ったかというと黒澤清之進さんの旧宅が観海堂という名で県の史跡として残っていて、黒澤清之進さんのところから中島家へ英記さんは養子に入っていることから兄弟なのではと思ったからです。
しかし調べた結果、確かな証拠はありませんでした。(もう少し調べれば何かでてくるかもしれません)
ただ黒澤家から中島家へ養子にいったことはおそらく確かではないかということはわかりました。新地に詳しい方がいらしたのでその方からも一応確認はとれました。
従って今回、観海堂で英記さんが過ごしたかどうかまでわかりませんでしたが、関係があってもなくてもここは英記さんが来た、もしくは居た場所が残っているのは感慨深いものでした。
今回、こうしてこのブログを見つけたのも中島英記さんのお導きかもしれませんね。
私はまだ北海道の伊達市には行ったことがないので、機会があればいってみようと思ってます。
はじまして!
コメントありがとうございます。
そして、とっても驚いています〜〜!
私の先祖が英記さんかどうかは、100%確実とは言えませんが、
その可能性があるというところまで職員さんから教えてもらいました。
それが本当なら、zuckyさんと私は遠い親戚ということになるんですよね?
英記さんは、養子で中島家に入られたのですね。
いろいろとお調べになったのですね!凄いです。
私が知らないことだらけ・・・(^^;)
福島の新知町はその通りなのですね。職員さんから教わったのもその地名でした。
まあ・・・なんか奇遇というかなんというか。
英記さんが、私の先祖でもあることを願っています(^^)
もし、違っても・・・こうやって、英記さんの名前で知らない方とお話する機会を持てて、嬉しく思います☆
伊達町は思いのほか、とても綺麗に整備された街でした。
もし、行かれることがあったら、ぜひ職員さんに資料を見せてもらってくださいね。
今日、私の父親(この件について主に調べている)にこのブログの件を話したところ、とても驚いていました。
中島家は兄弟たちがバラバラになっているのでその後の消息が分からなくなっている人が多く、辿って行くのが難しい状態にあり、今回たまたま見つけたことは奇跡に近いですね。
また何か調べて分かったら連絡します。
そういえば末永町は現在伊達市の中心市街地で屋敷のあった場所は昨年の時点で空地になっていたそうです。(一応、北海道で暮らした場所も残っているということですかね)
本当に不思議ですよね。私もそう思います。
英記さんが共通の先祖だとしたら・・・凄い偶然!めぐり合わせですよね。
しかも、私は伊達町へ、zuckyさんは福島県へ、
それぞれルーツを調べに足を運んだという、この行動の一致?これも面白いタイミングだと思いました。
自分と同じように先祖のことを調べてる人がいたなんて。
しかも、同じ先祖のことかもしれないとなると、とてもワクワクしてきました(^^)
実家の母にも今度、このことを話そうと思います。
zuckyさんのお父様が熱心にお調べになってらっしゃるのですね。
また何かわかったら、ぜひ教えてくださいね。
私は、うかつなことに、開拓記念館に行った時、
英記さんの奥さんと子供の名前(確かそうだったと思うのですが)を、
書き写してくるのを忘れたのです。
英記さんの子供が、うちの祖母の父親なら、
英記さんの子供さんは離婚の経験があるということになりますが、
そういうことはわかってませんか?
祖母が生きてたら・・・ああ、残念です(^^;)
今、滋賀の彦根に、祖母の妹が来ています。
私に会いたいと言ってるので、近々会いに行く予定ですが、
念のために何か知らないかどうか訊いてみようと思います(^^)
英記さん関係の名前でこちらで把握していることは英記さんの妻がみよさん。子どもが英馬(長男)とき能(長女)です。
英馬さんの子どもには泰さん、ハルさん、ナツさん、高さん、スイさん、トメヨさんがいて、この中島トメヨさんが私のおばあさんにあたります。
ちなみに英馬さんの妻の名前はマツヨさんといいます。
き能さん関係はこちらでは把握していません。
これらも私の父が調べた内容ですので100%正確な情報とは言えませんが、何か参考にしていただければと思います。
彦根にいらしているおばあさまの妹さんから何かわかればいいですね。
なんか急に色々分かってくるとなにかご先祖さんが言っているのかもしれませんね。
こんにちは♪
いろいろ名前を把握してらっしゃるのですね!
私の祖母の豊子の父親が、英馬さんだとしたら、奥さんの名前が違うので、英気さんは先祖ではないのかな?と思いましたが・・・
祖母の母の名前は、くにえ(漢字は知りません)なのだそうです。
祖母の父は祖母が子供の頃に離婚してるので、
英気さんが父親だと仮定した場合、再婚相手の奥様の名前がマツヨさんになるのか・・・?
その辺がわかりませんよね。
でも、ここまで名前の情報がわかると、祖母の戸籍謄本を調べたら、父親が英馬かどうかがわかりますから、
違えば、英気さんはうちとは無関係ということに・・・
時期をみて調べてみたいと思います。
たくさん教えてくださってありがとうございました(^^)
(英気さんがご先祖様だったらいいな〜〜〜)
時代も時代ですし、すべての情報が正確かどうかわからないのも事実だと思います。
こちらでもまた少し調べてみますね。
父の方も調べてみると言っているので何かわかったら連絡します。
家主さんの方で調べて何かわかったら教えて下さい。
あとそういえば家紋とかわかりますか?その辺からも少し手がかりになるかもしれません。
今となっては真実にたどり着くことができるかわかりませんが、なるべく近づけれる様にしたいと思ってます。
こんばんは♪
そうですよね〜昔のことですもの。
どこかで、つながりが見つかるといいなと、私も願っています。
私の方で出来るのは、あとは祖母の豊子の戸籍を調べることくらいでしょうか。
生存してる親類は、名前などを知ってる者がいなかったと思うんです。
大叔母が何か聞いたことがあればいいのですが。
私が母から受け継いでる家紋は、ケンカタバミですが、
これは女紋なので、英気さんには関係ないですよね?
そういえば、行政書士さんが家計図を作ってくれるそうなのですが(そういうサービスをしてる事務所がありました)、
うまくいけば、江戸後期までさかのぼれるとか。
でも、あまりに費用がかかるので、ちょっと考えてみたのですが手が出ません(笑)
こちらも、何かわかったらご連絡しますね。
なんだか一種の冒険の旅に出たような気になっています(^^)
初めまして。「邯鄲のゆめ」と申します。
伊達市開拓記念館の「口コミ情報」を見て,此方に辿り着きました。
解説員の方が調べられていたのは、多分「明治5年の移住者調帳」
だと思います。
もし、家主様のご高祖父が、「中嶋英記」さん44才だとすれば、
奥さんは「美代」さん36才、お子さんは「英馬」さん16才です。
明治2年〜明治13年 移住者氏名調書では、、「中嶋英記」さん
は「末永丁」の海から書きはじめて32番目に住まわれたようです。
以上です。
私は、「亘理世臣家譜略記」と移住された方達との間の空白が
約2代有るのですが、其の間を繋げ、その後、そのご子孫達が
どちらに住まわれているのか、知りと願っているものです。
(多分、個人情報保護法がネックとなると思ってます。)
余計な事を書き綴ってしまったかもしれませんが、ご先祖の
住まわれた北の湘南と言われる伊達市に又、お出で下さい。
たいと
はじめまして☆
いろいろな情報をありがとうございます。
果たして英記さんが私の先祖なのかどうか、
まだわからない部分もあるのですが、そうであったらいいな〜と思っています。
中島の姓には間違いが無いのですが、
あの資料に載ってない中島さんが別にいないのかしら?
というのも気になってるのですが・・・
邯鄲のゆめ さんは、伊達市にお住まいなのですか?
英気さんの奥さんと子供の英馬さんの年齢を教えてくださってありがとうございます。
こうやって、過去から現在へのつながりを求めてらっしゃる方もいるのですね!
何かまた新しいことがわかったらいいなと思う今日この頃です。
伊達市は、実母がまだ行った事がないので、
今度は実母が行くかもしれません(^^)
先祖が開拓した街を見て、私はとても感慨深い思いでした。
また機会が出来たら、もっとゆっくり時間を取りたいと思います☆
私は、2005年定年退職して、東京小金井市から伊達市へ帰
郷しました。
父の遣り残したことを掘り起こしながら、自分ながらの遣り方で、
歴史を紐解いて行こうと思っています。
「邯鄲のゆめのチャンネル」http://ch13007.kitaguni.tv
に日頃の出来事等を、徒然なるがままに、ブログに書き綴って
いますので、お立ち寄り下さい。
そうですか〜今は伊達市に帰られてるのですね!
お父様が遣り残されたことを、引き継がれてるのですね。
うちの家族・親族は(母方ですが)、先祖が開拓団として伊達市にわたったことは知ってますが、
それがどういう人であったとか、そういうことを調べようとした人はいませんでした。
多分私が最初だと思います(^^;)
開拓記念館を訪ねるだけでは、多くのことは得られませんでしたが、
この記事がきっかけで、邯鄲のゆめ さんや、上にコメントをくださっているzuckyさんが新たな情報を下さったり、
思わぬ縁が生まれたようで、嬉しく思います。
英記さんが私の先祖であるかどうか、いずれはっきりさせたいと思います。
そちらのブログへも、また後で伺いますね。
どうもありがとうございます☆














