さよならお義父さんその2。
義父の通夜がすみ、一部の親族だけが残って、通夜振る舞いの席で、私は姑側の親戚と同席しました。
他の円卓には、あのパラサイトがいましたし。
どっちも嫌でしたけど、まだこっちがマシ?(笑)
お寿司をみんなでつまみ、姑側の親戚の話を聞くともなく聞き、横にいた夫は喪主としてうろうろしていたし、夫の席が空くと義弟が来て座って、姑側の親戚と話していました。
遅れて、姑の甥がやってきました。この人は壁が無い感じの人で、これまで何度か話もしていますが。
私は相当疲れがたまっているので、もうボケ~っとするか、お寿司を食べるかどっちか。
すると、1つ空いていた席に、義父側の親戚の男性がやってきて、わちゃわちゃと話し始めました。
賑やかな話し方でした。何度かこの人とも顔を合わせています。
姑側の親戚の話を聞くのも飽きたので、この方の方を向いて、この方が姑の甥に話しているのを黙って聞いていました。
学校関係者が多いせいか、橋下知事と教育委員会のバトルについての話題も色々出てましたねぇ。
姑側の親戚は、それとは別に、実家の歴史を色々話していました。
何でも、専修大学の創設メンバーのうちの1人なんだとか。
男爵がいる事は、さんざん姑から聞かされてうんざりしてましたけど。
そうなんですか。はあ。
ちなみに、姑の甥と話し込んでいた義父側の男性は、義父の一番下の妹さん(故人)の旦那様で、電池の世界では有名人で、紫綬褒章を貰っている偉い人です。
で、話し相手になっていた姑の甥は、ナイナイの矢部君か岡村君か、どっちかの担任の先生です。
私が同じ出身校だと知ったその人は、ナイナイのどっちかの担任だった時の話を何度かしてくれたことがあります。
ぼけーっとしながら、周囲を見て思いました。
同じ円卓には男爵がいる家系の親戚。
電池の世界で紫綬褒章を貰った親戚。
ナイナイの担任の先生(これが一番普通に思えます・笑)
別の円卓には、奈良県の御代官の家の人達。なんかよくわからない由緒ある家の人達。
そんな所に何にもない私が一人混じってるのが、すごく面白かったです。
通夜振る舞いを終え、私は午後9時半には帰宅。
夫と義弟が残って番をすることになっていましたし。
猫達の世話などは、先に帰宅していた母にお願いしていました。
帰宅してから休憩し、午前零時にはベッドへ。
ところが、全然眠れず。3~4時間くらいかなあ、眠れたの。
お葬式の当日も晴れ。
午前8時にタクシーをお願いしていたので、それに乗って斎場へ。
お葬式では着物の喪服を着なければならないので、着付けの為に2時間前に到着。
七五三以来の着物だと、着付けの先生に言うと、すごく笑われました。
珍しいのでしょうね。そういう人は。
鮮やかな手つきで着付けをしてくださったのですが、あまりに紐の数が多いのにびっくりです。
こんなに使うの?紐・・・。どんどん苦しくなってきました。
吐くんじゃなかろうか?
持って行った草履は、バッグとセットになってる物を買っていたのですが、嫁入り道具として持って行って以来、一度も使わなかったので、実際に履こうとすると入らない。
どうも足に合わなくなってきていたみたいで、先生が別の草履を持って来て貸してくださいました。
着物は自前だったので、思っているより安い着付け料でした。

七五三以来の着物姿(笑)
どうにもこうにも、歩きにくかったです。
お葬式は粛々と進行し、3人の御坊様の読経が済み(この村では3人が定番みたいです)、夫のこれまた短い挨拶。
通夜の挨拶と殆ど変らない内容でした。
どうもアドリブを入れるのが苦手のようです。
その上・・・通夜もそうでしたが、カミカミでした。
いえ、通夜の時以上にカミカミカミカミ・・・(笑)
書いたものを読んでるのに、やたら噛んでました。
お葬式の後、火葬場に歩いて移動。
ほとほと疲れ切ってしまった私に、「おねえさん、ちょっとは眠れた?」と、御代官の分家の次男さんが声をかけてきました。
もう正直早く帰りたい。そう思いました。
どうしてこうも、日本の儀式は時間を要するのでしょう。
と、疲れてるせいかそんなことまで思う始末。
火葬をしている間、みんなで食事。パラサイトと同席になってしまい、どうにもこうにも余計に早く帰りたかったです。
さて。そんなこんなで苦しくなってきた私は、食事中が唯一着物を脱げるチャンスと教わっていたので、残り時間30分になった頃、着物を脱ぎに行きました。
ゆっくり脱いで、ゆっくり畳んで、ゆっくり1人で休めたので、少し元気復活。
ああ、苦しかった。
義父のお骨をみんなで骨壺に入れる時、誰か女性の方が「そんな風に詰め込んだら、O兄さん、痛い!って言うやん!」と言われたのですが、私がにゃんこの骨をうっかり落とした時にも同じ事を言った事を思いだしました。
あれはサンディだったなぁ。
骨壺に入れようとしたら滑ってしまったのですが、そう言う私に夫が「もう骨になってるから痛くない!」と言いました。
でも、同じように思う人はやっぱりいるんだな。
その後は初七日法要。
御坊様の読経のあと、簡単なお話。
義父の法名の説明。浄土真宗では、戒名ではなく法名なんだそうです。
そして、戒名にもお金がかかって大変だからと思っていたら、法名はもうすでに御坊様が決めていて、名前によって値段が違うとか、一切ないんです。へ~って思いました。
御坊様のお話の途中で、すでに私の意識は遠のき始めていました。
目は開いているものの焦点合わず。舟をこぎ出すのも時間の問題・・・というところで、やっとすべてが終わりました。
親戚同士、適当にお疲れ様の挨拶を交わし、解散。
長かった2日間の儀式がようやく終わったのでした。
通夜の席でも呆れた行動を取ったパラサイト。
火葬前にもやってくれました。
焼香の際係の人が「喪主の方の後ろに3列になってお並び下さい」と言われたのですが・・・。
先頭が喪主である夫1人。
その後ろに私、横に義弟。本来ならもう片方の横にパラサイトとなるはずが、何を血迷ったか、喪主と同列に並んだパラサイト。
我先に・・・の感じが笑えたので、ほっときました。
親戚の誰も注意しませんでした。
見かねた義弟が「お前は後ろや!」と注意。
義父を霊柩車に乗せるための列でも、まず喪主先頭。
そして、何を血迷ったか、その後に並ぼうとして、係の人に止められたパラサイト。
何度も「順番」を説明した係の人の言葉を聞いてないのかな?
当然、押しとどめられたその前へ、私が割り込みました。
こやつは、あくまでも儀式の順位をハナから無視するつもりだったのでしょうねぇ。
行進にも順位があるというのに。
でも、一番笑いそうになったのは、係の方が会葬者の皆様がお越しになる前に、親族だけにされた打ち合わせの中で・・・
「まず喪主様、そして喪主の奥様、そしてご主人様(これは義弟のことです)、そして・・・・・・・・・・うん、この順番でお願い致します」
ご主人様と義弟が呼ばれたのは、既婚か未婚か定かでないので、そうなったのかもしれませんが、パラサイトに関しては「・・・・・・・・・・うん」でした。
喪主でもない、ご主人様でもない、えーっと・・・・・・うん、まあ、そういことでってな略し方で、もう噴き出すのを抑えるのに必死(笑)
さぞかしプライドが傷ついたことでしょうねぇ。
自分が自分がって威張ってるのに、どういう立場の人間か把握してもらえてなかったとは。お気の毒(笑)
この係の方、それはそれは丁寧で親切で詳しく説明をしてくださる感じの良い方なんですよ。
本来なら、何か呼び方があったんでしょうけど、それも浮かばなかったみたいです。
威張ってるのに影薄い・・・お義父さん、ごめんなさい。でも、こればかりは可笑しすぎて(爆)
今後、パラサイトの言動で腹が立つことがあるたびに、この事を思いだして笑ってしまいそう。
ま、そんなこんなで義父の通夜・葬儀はすべて終わり、この日は5時過ぎかな?家に帰りました。
午前中に葬儀屋さんが来て、仏間に祭壇を作って下さっていたので、そこへお骨を安置。
四十九日までのしきたりと、必要な物を教わりました。
とりあえず、もうくたくた。
部屋着に着替えて、ようやく体の力が全部抜けた感じがしました。
夫だけはまだ喪主の仕事が残っていて、頂いたお供えを手伝ってくださった各家へ配りに行きました。
これからは、四十九日までの法要を毎週行い、四十九日が終わったら納骨。
お返しの発送などなど、法事絡みの用事はまだたくさんあります。
そして、最大の懸念事項の相続問題の話し合いも待っています。
フラフラと舟を漕ぎそうになりながら、夜遅くにあんずに点滴。
猫達はみんな良い子だったみたいです。
チーズファミリーは、色んな人がたくさん出入りする日が続いたせいか、まともに姿を見せませんでした。
昨日になってようやく、月乃に出会いましたが、チーちゃんは見ず。
茶太郎と白田君、グレコは1度食べに来てくれました。
茶太郎は、私がしゃがんでいる所へ寄ってきて、全身で甘えてきました!
もうびっくり!
調子に乗った私が背中を撫でると「な、な、なんだよ~~!」と急に弱腰になって離れてしまいましたけど(^^;)
みんな。どうにかして守るからね。
住む場所が変わってしまうかもしれないけど、あと2~3年はこの状態が維持できるよう最善を尽くします。
万一そうじゃない結果になった場合は・・・お願いだから家猫になる努力をしてくださいな。
極力窮屈な思いはさせないようにするから。
何よりね。飢えさせる事だけは絶対したくないからね。
そういう方向に馴れてくれる時間を持てますように。
そのためにも、あと2~3年は時間をかけて取り組みたいです。
しかし、これは、誰が何を相続するかによって変わってきます。
家の敷地を夫が相続出来れば何とかなる。
でも、義弟と分けることになると、義弟が売りたいと言い出すとやっかいな事になる。
こちらにも事情があるのですから、今までみたいに向こうの要望を聞き入れるわけにはいきませんよ。
それはそうと、引っ越すならここだな~と思って見に行ったハイツ、こんな風にリフォームして住んだら楽しいだろうなという思いも結構膨らんでいます。
チーズファミリーが受け入れてくれるかどうか。
相続に関しての最重要事項。私にとっては結局のところ、あの一家の事がすべて・・・みたいです。
財産とかそういう問題ではなくて。
葬式が終わって1日たった昨日。
さすがに喪主の仕事で疲れた夫は、マンションの掃除を休んで昼まで寝てました。
私は掃除に行き、さっさと帰って来ましたが、明日は経理の仕事で外出。
夫は今週いっぱい嘱託勤務の会社を休み、事後処理の続きをするようです。
あんずの検査も、本来なら日曜日だったのですが、キャンセルしたので、また新たに日を決めないと。
なんだかんだあっても、またいつもの日々に戻るんですよね。
どうか早く平穏で、希望に満ちが日が訪れますように。
他の円卓には、あのパラサイトがいましたし。
どっちも嫌でしたけど、まだこっちがマシ?(笑)
お寿司をみんなでつまみ、姑側の親戚の話を聞くともなく聞き、横にいた夫は喪主としてうろうろしていたし、夫の席が空くと義弟が来て座って、姑側の親戚と話していました。
遅れて、姑の甥がやってきました。この人は壁が無い感じの人で、これまで何度か話もしていますが。
私は相当疲れがたまっているので、もうボケ~っとするか、お寿司を食べるかどっちか。
すると、1つ空いていた席に、義父側の親戚の男性がやってきて、わちゃわちゃと話し始めました。
賑やかな話し方でした。何度かこの人とも顔を合わせています。
姑側の親戚の話を聞くのも飽きたので、この方の方を向いて、この方が姑の甥に話しているのを黙って聞いていました。
学校関係者が多いせいか、橋下知事と教育委員会のバトルについての話題も色々出てましたねぇ。
姑側の親戚は、それとは別に、実家の歴史を色々話していました。
何でも、専修大学の創設メンバーのうちの1人なんだとか。
男爵がいる事は、さんざん姑から聞かされてうんざりしてましたけど。
そうなんですか。はあ。
ちなみに、姑の甥と話し込んでいた義父側の男性は、義父の一番下の妹さん(故人)の旦那様で、電池の世界では有名人で、紫綬褒章を貰っている偉い人です。
で、話し相手になっていた姑の甥は、ナイナイの矢部君か岡村君か、どっちかの担任の先生です。
私が同じ出身校だと知ったその人は、ナイナイのどっちかの担任だった時の話を何度かしてくれたことがあります。
ぼけーっとしながら、周囲を見て思いました。
同じ円卓には男爵がいる家系の親戚。
電池の世界で紫綬褒章を貰った親戚。
ナイナイの担任の先生(これが一番普通に思えます・笑)
別の円卓には、奈良県の御代官の家の人達。なんかよくわからない由緒ある家の人達。
そんな所に何にもない私が一人混じってるのが、すごく面白かったです。
通夜振る舞いを終え、私は午後9時半には帰宅。
夫と義弟が残って番をすることになっていましたし。
猫達の世話などは、先に帰宅していた母にお願いしていました。
帰宅してから休憩し、午前零時にはベッドへ。
ところが、全然眠れず。3~4時間くらいかなあ、眠れたの。
お葬式の当日も晴れ。
午前8時にタクシーをお願いしていたので、それに乗って斎場へ。
お葬式では着物の喪服を着なければならないので、着付けの為に2時間前に到着。
七五三以来の着物だと、着付けの先生に言うと、すごく笑われました。
珍しいのでしょうね。そういう人は。
鮮やかな手つきで着付けをしてくださったのですが、あまりに紐の数が多いのにびっくりです。
こんなに使うの?紐・・・。どんどん苦しくなってきました。
吐くんじゃなかろうか?
持って行った草履は、バッグとセットになってる物を買っていたのですが、嫁入り道具として持って行って以来、一度も使わなかったので、実際に履こうとすると入らない。
どうも足に合わなくなってきていたみたいで、先生が別の草履を持って来て貸してくださいました。
着物は自前だったので、思っているより安い着付け料でした。

七五三以来の着物姿(笑)
どうにもこうにも、歩きにくかったです。
お葬式は粛々と進行し、3人の御坊様の読経が済み(この村では3人が定番みたいです)、夫のこれまた短い挨拶。
通夜の挨拶と殆ど変らない内容でした。
どうもアドリブを入れるのが苦手のようです。
その上・・・通夜もそうでしたが、カミカミでした。
いえ、通夜の時以上にカミカミカミカミ・・・(笑)
書いたものを読んでるのに、やたら噛んでました。
お葬式の後、火葬場に歩いて移動。
ほとほと疲れ切ってしまった私に、「おねえさん、ちょっとは眠れた?」と、御代官の分家の次男さんが声をかけてきました。
もう正直早く帰りたい。そう思いました。
どうしてこうも、日本の儀式は時間を要するのでしょう。
と、疲れてるせいかそんなことまで思う始末。
火葬をしている間、みんなで食事。パラサイトと同席になってしまい、どうにもこうにも余計に早く帰りたかったです。
さて。そんなこんなで苦しくなってきた私は、食事中が唯一着物を脱げるチャンスと教わっていたので、残り時間30分になった頃、着物を脱ぎに行きました。
ゆっくり脱いで、ゆっくり畳んで、ゆっくり1人で休めたので、少し元気復活。
ああ、苦しかった。
義父のお骨をみんなで骨壺に入れる時、誰か女性の方が「そんな風に詰め込んだら、O兄さん、痛い!って言うやん!」と言われたのですが、私がにゃんこの骨をうっかり落とした時にも同じ事を言った事を思いだしました。
あれはサンディだったなぁ。
骨壺に入れようとしたら滑ってしまったのですが、そう言う私に夫が「もう骨になってるから痛くない!」と言いました。
でも、同じように思う人はやっぱりいるんだな。
その後は初七日法要。
御坊様の読経のあと、簡単なお話。
義父の法名の説明。浄土真宗では、戒名ではなく法名なんだそうです。
そして、戒名にもお金がかかって大変だからと思っていたら、法名はもうすでに御坊様が決めていて、名前によって値段が違うとか、一切ないんです。へ~って思いました。
御坊様のお話の途中で、すでに私の意識は遠のき始めていました。
目は開いているものの焦点合わず。舟をこぎ出すのも時間の問題・・・というところで、やっとすべてが終わりました。
親戚同士、適当にお疲れ様の挨拶を交わし、解散。
長かった2日間の儀式がようやく終わったのでした。
通夜の席でも呆れた行動を取ったパラサイト。
火葬前にもやってくれました。
焼香の際係の人が「喪主の方の後ろに3列になってお並び下さい」と言われたのですが・・・。
先頭が喪主である夫1人。
その後ろに私、横に義弟。本来ならもう片方の横にパラサイトとなるはずが、何を血迷ったか、喪主と同列に並んだパラサイト。
我先に・・・の感じが笑えたので、ほっときました。
親戚の誰も注意しませんでした。
見かねた義弟が「お前は後ろや!」と注意。
義父を霊柩車に乗せるための列でも、まず喪主先頭。
そして、何を血迷ったか、その後に並ぼうとして、係の人に止められたパラサイト。
何度も「順番」を説明した係の人の言葉を聞いてないのかな?
当然、押しとどめられたその前へ、私が割り込みました。
こやつは、あくまでも儀式の順位をハナから無視するつもりだったのでしょうねぇ。
行進にも順位があるというのに。
でも、一番笑いそうになったのは、係の方が会葬者の皆様がお越しになる前に、親族だけにされた打ち合わせの中で・・・
「まず喪主様、そして喪主の奥様、そしてご主人様(これは義弟のことです)、そして・・・・・・・・・・うん、この順番でお願い致します」
ご主人様と義弟が呼ばれたのは、既婚か未婚か定かでないので、そうなったのかもしれませんが、パラサイトに関しては「・・・・・・・・・・うん」でした。
喪主でもない、ご主人様でもない、えーっと・・・・・・うん、まあ、そういことでってな略し方で、もう噴き出すのを抑えるのに必死(笑)
さぞかしプライドが傷ついたことでしょうねぇ。
自分が自分がって威張ってるのに、どういう立場の人間か把握してもらえてなかったとは。お気の毒(笑)
この係の方、それはそれは丁寧で親切で詳しく説明をしてくださる感じの良い方なんですよ。
本来なら、何か呼び方があったんでしょうけど、それも浮かばなかったみたいです。
威張ってるのに影薄い・・・お義父さん、ごめんなさい。でも、こればかりは可笑しすぎて(爆)
今後、パラサイトの言動で腹が立つことがあるたびに、この事を思いだして笑ってしまいそう。
ま、そんなこんなで義父の通夜・葬儀はすべて終わり、この日は5時過ぎかな?家に帰りました。
午前中に葬儀屋さんが来て、仏間に祭壇を作って下さっていたので、そこへお骨を安置。
四十九日までのしきたりと、必要な物を教わりました。
とりあえず、もうくたくた。
部屋着に着替えて、ようやく体の力が全部抜けた感じがしました。
夫だけはまだ喪主の仕事が残っていて、頂いたお供えを手伝ってくださった各家へ配りに行きました。
これからは、四十九日までの法要を毎週行い、四十九日が終わったら納骨。
お返しの発送などなど、法事絡みの用事はまだたくさんあります。
そして、最大の懸念事項の相続問題の話し合いも待っています。
フラフラと舟を漕ぎそうになりながら、夜遅くにあんずに点滴。
猫達はみんな良い子だったみたいです。
チーズファミリーは、色んな人がたくさん出入りする日が続いたせいか、まともに姿を見せませんでした。
昨日になってようやく、月乃に出会いましたが、チーちゃんは見ず。
茶太郎と白田君、グレコは1度食べに来てくれました。
茶太郎は、私がしゃがんでいる所へ寄ってきて、全身で甘えてきました!
もうびっくり!
調子に乗った私が背中を撫でると「な、な、なんだよ~~!」と急に弱腰になって離れてしまいましたけど(^^;)
みんな。どうにかして守るからね。
住む場所が変わってしまうかもしれないけど、あと2~3年はこの状態が維持できるよう最善を尽くします。
万一そうじゃない結果になった場合は・・・お願いだから家猫になる努力をしてくださいな。
極力窮屈な思いはさせないようにするから。
何よりね。飢えさせる事だけは絶対したくないからね。
そういう方向に馴れてくれる時間を持てますように。
そのためにも、あと2~3年は時間をかけて取り組みたいです。
しかし、これは、誰が何を相続するかによって変わってきます。
家の敷地を夫が相続出来れば何とかなる。
でも、義弟と分けることになると、義弟が売りたいと言い出すとやっかいな事になる。
こちらにも事情があるのですから、今までみたいに向こうの要望を聞き入れるわけにはいきませんよ。
それはそうと、引っ越すならここだな~と思って見に行ったハイツ、こんな風にリフォームして住んだら楽しいだろうなという思いも結構膨らんでいます。
チーズファミリーが受け入れてくれるかどうか。
相続に関しての最重要事項。私にとっては結局のところ、あの一家の事がすべて・・・みたいです。
財産とかそういう問題ではなくて。
葬式が終わって1日たった昨日。
さすがに喪主の仕事で疲れた夫は、マンションの掃除を休んで昼まで寝てました。
私は掃除に行き、さっさと帰って来ましたが、明日は経理の仕事で外出。
夫は今週いっぱい嘱託勤務の会社を休み、事後処理の続きをするようです。
あんずの検査も、本来なら日曜日だったのですが、キャンセルしたので、また新たに日を決めないと。
なんだかんだあっても、またいつもの日々に戻るんですよね。
どうか早く平穏で、希望に満ちが日が訪れますように。
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