さよならお義父さんその2。

義父の通夜がすみ、一部の親族だけが残って、通夜振る舞いの席で、私は姑側の親戚と同席しました。

他の円卓には、あのパラサイトがいましたし。
どっちも嫌でしたけど、まだこっちがマシ?(笑)

お寿司をみんなでつまみ、姑側の親戚の話を聞くともなく聞き、横にいた夫は喪主としてうろうろしていたし、夫の席が空くと義弟が来て座って、姑側の親戚と話していました。

遅れて、姑の甥がやってきました。この人は壁が無い感じの人で、これまで何度か話もしていますが。
私は相当疲れがたまっているので、もうボケ~っとするか、お寿司を食べるかどっちか。

すると、1つ空いていた席に、義父側の親戚の男性がやってきて、わちゃわちゃと話し始めました。
賑やかな話し方でした。何度かこの人とも顔を合わせています。

姑側の親戚の話を聞くのも飽きたので、この方の方を向いて、この方が姑の甥に話しているのを黙って聞いていました。

学校関係者が多いせいか、橋下知事と教育委員会のバトルについての話題も色々出てましたねぇ。

姑側の親戚は、それとは別に、実家の歴史を色々話していました。

何でも、専修大学の創設メンバーのうちの1人なんだとか。
男爵がいる事は、さんざん姑から聞かされてうんざりしてましたけど。
そうなんですか。はあ。

ちなみに、姑の甥と話し込んでいた義父側の男性は、義父の一番下の妹さん(故人)の旦那様で、電池の世界では有名人で、紫綬褒章を貰っている偉い人です。
で、話し相手になっていた姑の甥は、ナイナイの矢部君か岡村君か、どっちかの担任の先生です。
私が同じ出身校だと知ったその人は、ナイナイのどっちかの担任だった時の話を何度かしてくれたことがあります。

ぼけーっとしながら、周囲を見て思いました。

同じ円卓には男爵がいる家系の親戚。
電池の世界で紫綬褒章を貰った親戚。
ナイナイの担任の先生(これが一番普通に思えます・笑)

別の円卓には、奈良県の御代官の家の人達。なんかよくわからない由緒ある家の人達。

そんな所に何にもない私が一人混じってるのが、すごく面白かったです。

通夜振る舞いを終え、私は午後9時半には帰宅。
夫と義弟が残って番をすることになっていましたし。

猫達の世話などは、先に帰宅していた母にお願いしていました。
帰宅してから休憩し、午前零時にはベッドへ。
ところが、全然眠れず。3~4時間くらいかなあ、眠れたの。

お葬式の当日も晴れ。
午前8時にタクシーをお願いしていたので、それに乗って斎場へ。
お葬式では着物の喪服を着なければならないので、着付けの為に2時間前に到着。

七五三以来の着物だと、着付けの先生に言うと、すごく笑われました。
珍しいのでしょうね。そういう人は。

鮮やかな手つきで着付けをしてくださったのですが、あまりに紐の数が多いのにびっくりです。
こんなに使うの?紐・・・。どんどん苦しくなってきました。
吐くんじゃなかろうか?

持って行った草履は、バッグとセットになってる物を買っていたのですが、嫁入り道具として持って行って以来、一度も使わなかったので、実際に履こうとすると入らない。
どうも足に合わなくなってきていたみたいで、先生が別の草履を持って来て貸してくださいました。

着物は自前だったので、思っているより安い着付け料でした。

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七五三以来の着物姿(笑)
どうにもこうにも、歩きにくかったです。


お葬式は粛々と進行し、3人の御坊様の読経が済み(この村では3人が定番みたいです)、夫のこれまた短い挨拶。
通夜の挨拶と殆ど変らない内容でした。
どうもアドリブを入れるのが苦手のようです。
その上・・・通夜もそうでしたが、カミカミでした。
いえ、通夜の時以上にカミカミカミカミ・・・(笑)
書いたものを読んでるのに、やたら噛んでました。

お葬式の後、火葬場に歩いて移動。
ほとほと疲れ切ってしまった私に、「おねえさん、ちょっとは眠れた?」と、御代官の分家の次男さんが声をかけてきました。
もう正直早く帰りたい。そう思いました。
どうしてこうも、日本の儀式は時間を要するのでしょう。
と、疲れてるせいかそんなことまで思う始末。

火葬をしている間、みんなで食事。パラサイトと同席になってしまい、どうにもこうにも余計に早く帰りたかったです。

さて。そんなこんなで苦しくなってきた私は、食事中が唯一着物を脱げるチャンスと教わっていたので、残り時間30分になった頃、着物を脱ぎに行きました。
ゆっくり脱いで、ゆっくり畳んで、ゆっくり1人で休めたので、少し元気復活。
ああ、苦しかった。

義父のお骨をみんなで骨壺に入れる時、誰か女性の方が「そんな風に詰め込んだら、O兄さん、痛い!って言うやん!」と言われたのですが、私がにゃんこの骨をうっかり落とした時にも同じ事を言った事を思いだしました。
あれはサンディだったなぁ。
骨壺に入れようとしたら滑ってしまったのですが、そう言う私に夫が「もう骨になってるから痛くない!」と言いました。
でも、同じように思う人はやっぱりいるんだな。


その後は初七日法要。
御坊様の読経のあと、簡単なお話。
義父の法名の説明。浄土真宗では、戒名ではなく法名なんだそうです。
そして、戒名にもお金がかかって大変だからと思っていたら、法名はもうすでに御坊様が決めていて、名前によって値段が違うとか、一切ないんです。へ~って思いました。

御坊様のお話の途中で、すでに私の意識は遠のき始めていました。
目は開いているものの焦点合わず。舟をこぎ出すのも時間の問題・・・というところで、やっとすべてが終わりました。

親戚同士、適当にお疲れ様の挨拶を交わし、解散。

長かった2日間の儀式がようやく終わったのでした。

通夜の席でも呆れた行動を取ったパラサイト。
火葬前にもやってくれました。
焼香の際係の人が「喪主の方の後ろに3列になってお並び下さい」と言われたのですが・・・。
先頭が喪主である夫1人。
その後ろに私、横に義弟。本来ならもう片方の横にパラサイトとなるはずが、何を血迷ったか、喪主と同列に並んだパラサイト。
我先に・・・の感じが笑えたので、ほっときました。
親戚の誰も注意しませんでした。
見かねた義弟が「お前は後ろや!」と注意。

義父を霊柩車に乗せるための列でも、まず喪主先頭。
そして、何を血迷ったか、その後に並ぼうとして、係の人に止められたパラサイト。
何度も「順番」を説明した係の人の言葉を聞いてないのかな?
当然、押しとどめられたその前へ、私が割り込みました。
こやつは、あくまでも儀式の順位をハナから無視するつもりだったのでしょうねぇ。
行進にも順位があるというのに。

でも、一番笑いそうになったのは、係の方が会葬者の皆様がお越しになる前に、親族だけにされた打ち合わせの中で・・・
「まず喪主様、そして喪主の奥様、そしてご主人様(これは義弟のことです)、そして・・・・・・・・・・うん、この順番でお願い致します」

ご主人様と義弟が呼ばれたのは、既婚か未婚か定かでないので、そうなったのかもしれませんが、パラサイトに関しては「・・・・・・・・・・うん」でした。
喪主でもない、ご主人様でもない、えーっと・・・・・・うん、まあ、そういことでってな略し方で、もう噴き出すのを抑えるのに必死(笑)
さぞかしプライドが傷ついたことでしょうねぇ。
自分が自分がって威張ってるのに、どういう立場の人間か把握してもらえてなかったとは。お気の毒(笑)

この係の方、それはそれは丁寧で親切で詳しく説明をしてくださる感じの良い方なんですよ。
本来なら、何か呼び方があったんでしょうけど、それも浮かばなかったみたいです。
威張ってるのに影薄い・・・お義父さん、ごめんなさい。でも、こればかりは可笑しすぎて(爆)

今後、パラサイトの言動で腹が立つことがあるたびに、この事を思いだして笑ってしまいそう。

ま、そんなこんなで義父の通夜・葬儀はすべて終わり、この日は5時過ぎかな?家に帰りました。
午前中に葬儀屋さんが来て、仏間に祭壇を作って下さっていたので、そこへお骨を安置。
四十九日までのしきたりと、必要な物を教わりました。

とりあえず、もうくたくた。
部屋着に着替えて、ようやく体の力が全部抜けた感じがしました。
夫だけはまだ喪主の仕事が残っていて、頂いたお供えを手伝ってくださった各家へ配りに行きました。

これからは、四十九日までの法要を毎週行い、四十九日が終わったら納骨。
お返しの発送などなど、法事絡みの用事はまだたくさんあります。

そして、最大の懸念事項の相続問題の話し合いも待っています。


フラフラと舟を漕ぎそうになりながら、夜遅くにあんずに点滴。

猫達はみんな良い子だったみたいです。

チーズファミリーは、色んな人がたくさん出入りする日が続いたせいか、まともに姿を見せませんでした。

昨日になってようやく、月乃に出会いましたが、チーちゃんは見ず。
茶太郎と白田君、グレコは1度食べに来てくれました。

茶太郎は、私がしゃがんでいる所へ寄ってきて、全身で甘えてきました!
もうびっくり!
調子に乗った私が背中を撫でると「な、な、なんだよ~~!」と急に弱腰になって離れてしまいましたけど(^^;)

みんな。どうにかして守るからね。
住む場所が変わってしまうかもしれないけど、あと2~3年はこの状態が維持できるよう最善を尽くします。
万一そうじゃない結果になった場合は・・・お願いだから家猫になる努力をしてくださいな。
極力窮屈な思いはさせないようにするから。
何よりね。飢えさせる事だけは絶対したくないからね。

そういう方向に馴れてくれる時間を持てますように。
そのためにも、あと2~3年は時間をかけて取り組みたいです。

しかし、これは、誰が何を相続するかによって変わってきます。
家の敷地を夫が相続出来れば何とかなる。
でも、義弟と分けることになると、義弟が売りたいと言い出すとやっかいな事になる。
こちらにも事情があるのですから、今までみたいに向こうの要望を聞き入れるわけにはいきませんよ。


それはそうと、引っ越すならここだな~と思って見に行ったハイツ、こんな風にリフォームして住んだら楽しいだろうなという思いも結構膨らんでいます。
チーズファミリーが受け入れてくれるかどうか。
相続に関しての最重要事項。私にとっては結局のところ、あの一家の事がすべて・・・みたいです。
財産とかそういう問題ではなくて。


葬式が終わって1日たった昨日。
さすがに喪主の仕事で疲れた夫は、マンションの掃除を休んで昼まで寝てました。
私は掃除に行き、さっさと帰って来ましたが、明日は経理の仕事で外出。
夫は今週いっぱい嘱託勤務の会社を休み、事後処理の続きをするようです。
あんずの検査も、本来なら日曜日だったのですが、キャンセルしたので、また新たに日を決めないと。

なんだかんだあっても、またいつもの日々に戻るんですよね。
どうか早く平穏で、希望に満ちが日が訪れますように。
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さよならお義父さんその1。

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いつにも増してかなり長文です。

23日の記事で、容態が思わしくないと書いた義父は、26日午前中に他界しました。

5日から微熱があり、体をそり返す症状が出て、施設からかかりつけの病院へ検査に行き、そこから大きな病院へ行って、そのまま入院となりました。
詳しい検査の結果、軽い腸閉塞とのことで、絶食で点滴治療をしていたそうですが、肺炎も併発し、その薬の効果があまり見られないとのことで、薬を変え、それでも改善がみられなければ、1週間もつかどうかと言われたのが今週の火曜日。

金曜日に夫が病院へ行き、様子を尋ねると、新しい薬は効きだしているので、1~2週間様子を見ることになりそうだと言っていました。
薬が効いていないと聞いた時点で、私はもう準備を始めた方がいいと判断し、実家の母に連絡をして、家の大掃除、義父がもし亡くなって帰宅した時にちゃんと迎えられるようにと、様々な物を買いに走りました。
しかし、金曜日に改善の知らせを受けたので、とりあえず一息つこうということで、母は足らない物を2~3日内に買って持ってくると言って帰りました。

しかし、日付が変わった土曜日の26日午前4時半頃。
夫が私を起こし「親父が危ないらしい。行ってくる」と言ってタクシーで病院へ。
私の携帯の着信を見ると、午前4時前に2度病院から連絡が入っていることがわかりました。
私は疲れていたせいで、まったく気づかなかったみたいです。

朝日が昇った頃、夫から連絡があり、少し安定したのでもう少し病院に居るということで、その間に私は私で買い物へ。
とりあえず、あんずの点滴だけはどうしても取りに行かねばならなかったので、急で申し訳ないが、これこれこういう事情で後日では行く時間が取れないかもしれないので、すぐに用意してもらえるようお願い。
病院も快く受けてくださり、約束の10時半には点滴を手にし、不足している物を買いに近くのショッピングモールへ。

そこで、色々見繕っている最中に夫から電話がありました。

亡くなった知らせでした。
一時は持ち直したようですが、結局老齢のため、体力の方が追いつかなかったのでしょうね。

連絡を聞いて、そのまま買い物を続け、急いで家に戻り、あたふたと最後の準備です。

病院へは夫と義弟が行っていたので、家に残った私と実家の母で仕度。

午後3時前に、義父は帰宅しました。

暫く施設へ会いに行けていなかったのですが、すっかり痩せて小さくなっていました。

90歳。この家の人達の中では長寿の部類に入ると思います。

葬儀屋さんが色々と準備をしてくださる中、夫もあちこちへ電話。
村のトップの方へも連絡。

私と母は、次々と弔問に来て下さる村の方々へお茶出し。
夫は葬儀屋さんと打ち合わせ。
打ち合わせの横に私もお茶出しをやめて張り付きました。
どうしても、この家の財務担当としては、費用の事をスルー出来ないからです。

これまでも、時々書いてきましたが、義父の土地活用、そして相続税対策のために持っている物件等の経営など、全てを嫁である私が実務を引き継ぎ、この10年やってきました。
計画通りに事が進み、それをそのままキープ出来れば良かったのですが、色んな事情で相続税のために用意出来ていたお金はどんどん減りました。
その中には、義父の施設費用がかなり含まれています。
物件の経営も、お客様あってのことで、やはり世情にかなり影響を受け、今なかなか厳しい状態です。
その中での義父の葬儀。正直、費用の事を私個人としては度外視することが出来ません。

葬儀屋さんとの打ち合わせは、まず予算を言ってから取り掛かりましょう~とは、色んなサイトに出ていますが、予算はいくらくらいでしょうか?との話はなく、村の人達がいつも行っているのと同じような形で、もうマニュアル化されているかのような進行具合なので、横から夫に「予算は言いましたか?」とはっきり突っ込みました。
この村で、しかも、村で一番格式が高いと言われている我が家で「予算」の言葉が出るとは思っていなかったのか、葬儀屋さんは、一瞬、はっとした顔をされましたが、構いません。
格式が高いのは昔がそうだったからで、今の財政状態とは何ら関係がないと思っている私。
現実の方が大切です。

しかし、葬儀屋さんは、この村独特のシステムを説明し、予算まずありき~より、まず形ありき~で最後に費用提示のような感じでしたね。
まあ、一旦そこは私も葬儀屋さんの説明を聞き、ちなみにこの祭壇だといくらか?とかは色々比較させて頂きました。

色々な物を入れた総額は、私の想定内だったので、OKしたのですが、いい意味で驚いたのは、一般の人たちが同じお葬式をした場合の金額よりも随分割り引きがあることでした。
これは葬儀屋さんとJAさんが提携していて、その割引が大きいのだそうです。

もし、それがなければ、OKを出せない金額だったと思われます。

受付、葬儀の取り仕切りも、村独特の担当制度があり、御坊様へのお布施なども、こちらが金額を渡せば、すべて整えて渡してくれるので、自分たちであれこれ動く必要はありませんでした。

面倒くさい村ですが、このシステムだけは、喪主側にとっては非常に楽です。


亡くなった義父の棺に思い出の物があれば入れてくださいと言われたので、何が良いだろうと考えたのですが、謡をながらくやっていたことを聞いていたので、スーツなどを入れるよりは、袴や扇子を入れた方がいいのでは?と夫に提案し、早速蔵へ探しに行きました。
とりあえず、3色ほど持って夫に見せ、色味は夫が選び、扇子も私が見つけて来たもので良しとされました。

通夜・葬儀の日取りも決まり、この日は翌日に備えて出来るだけ早く寝ようとしましたが・・・。
こういう時って、頭の中がいっぱいで、なかなか寝付けないものですね。

危篤だと起こされたこの日は2時間、通夜当日まで更に4時間ほど眠れただけでした。

通夜当日は、朝から遠方の親戚の女性が来られました。
お会いするのは久しぶりです。
丁度、葬儀屋さんの方が義父に化粧を施して、納棺をされている最中でした。

とても穏やかで、この家の親戚の中では一番話しやすい人の印象がある方ですが、じっくりお話する機会がそれほど無かった私。

お茶をお出しして、義父の施設でのこれまでの様子をお話しました。

その時、こう言われました。

「前からO兄さん(義父)からいつもいつも聞かされていたんですよ。賢い子が来た、賢い子が来た、ええ子やで。あの子に任しておいたら、きっとうまくいくって。いつもいつも〇子さんの事をそれはそれは褒めていたんですよ」

びっくりしました。

賢くもなければ、ええ子でもないんですが、一体何を私はしたのか自覚がありません。
別に謙遜でもなんでもなく、今までの私の行いや考え方を振り返ってみて、義父が安心するような事をしてきたとも思えないからです。
なにしろ、私はとても我儘ですから。

でも、多分、それは裏を返せば、何も考えずに物を言ったりしたり、或いは、何かを判断して動いたりということが出来ない姑に比べて・・・という事かもしれません。

そんな風に思ってもらえていたなんて。でも、どうにもこうにも、この家の存続に関しては、私の力が及ばないところまで来ているのかもしれませんし、これは税理士さんが近々どういう案を持って来られるか、計算結果がどうだったか、最終的な判断材料がまだ無いので、どこまで希望することが出来るのか判りません。

「O兄さんはとても多くの人と付き合って人を見てきているから、判ったのでしょう。〇子さんはO兄さんの仰る通りの方だと、私も判りました」

この方だけお話したのですが、これまであったさまざまな事。伯父のどうしようもないパラサイト息子が迷惑をかけ続けていること、その息子が私は大嫌いであること、お金の事、姑がしてきた色んな不快な出来事、私の精神面の調子が狂いだしたこと、諸々すべてお話しました。

そんな目にあっていたなんて・・・大きな家だから苦労はしてるだろうとは思っていたけど・・・。

そう言って慰めて下さいました。
すっきりしました。

「これからはTさん(夫)が守ってくれないとね。家の事も、〇子さんが色んな手を打ってきたから今まで持ったのよ」と。

ああ、みんながそう理解してくれたらどれほど救われる事でしょう。
パラサイト息子の、根も葉もない私の悪口を信じている親戚も中にはいると思っています。
何を思われてもいいし、冷たい嫁だと思われてもいいのですが、
「Tさんが長男でありながらこの家を潰したと言う人がもしいて、何か言って来たら、私がそれは受けて立つし、ちゃんと言うつもりでいます」
とその方には言っておきました。

そんな親戚は居ないはずよ・・・って言われたのですが、いるのですよ。パラサイトが。
この方の話では、関係ない家の事まであれこれ口出しするので、親戚の中には色々思ってる人達もいること、未だに仕事もしてない事を心配してること、この性格だから50歳にもなるのに未婚のままなのだと、はっきり言われてました。
決して、親戚全部がこのパラサイトを認めているわけではないのですね。
それが判って良かったです。

「O兄さんが〇子さんを褒めていたから、ずっとお近づきになりたいと思い続けてきたんですよ。だからこんなにお話出来て嬉しいわ」と、そこまで仰って下さいました。

お義父さん。陰でこっそり、大げさな褒め方をしてくれて、どうもありがとうございました(^^;)
私と仲良くなりたいと思っている親戚の方がいる事を知れて、とても嬉しいです。


さて。通夜の時間。喪主である夫、喪主の妻である私、夫の義弟、そして義父の亡き弟の代理としてパラサイト息子。
この4人が喪主席に座りました。

来て下さる方々へお辞儀を繰り返していましたが、横目にパラサイト息子が、お辞儀をする相手を選んでいるのが映り、非常に不快になりました。
村の長老たちへは深々と。知らない人だけど、役職っぽい肩書がついてそうに見える人にはそれなりに。
まったく興味が無い普通の女性や男性には、まったく微動だにせずふんぞりかえり気味に仁王立ちのまま。

こんな事をする人間が「〇〇家」にいるのは、恥です。

皆さんから丸見えの場所でよくもまあ・・・。

このパラサイトは私を目の敵にしています。
姑のいうところの「大したことのない家」から来た普通の嫁が、格式ある家の分家の長男の自分よりも、上の位置にいるのが許せないのでしょうね。
世間では、分家は本家より格下です。
いくら長男と言っても、本家の中では上位ではないのです。
しかし、自分は本家で生まれた父を持つれっきとした〇〇家の人間。
いくら本家であろうと、名も無い家から来た女が自分より格のある家に収まる事はプライドが許さんのでしょう。
これが、良家の子女や、自分の事を本家の人間同様に上に置いてくれるような、つまりは自分の嫁でもないのに、手足のように使える女性なら気に入ったのでしょうが、生憎私は正常な頭を持っていますから、その辺は受け入れません。
何かをしてあげたいと思える相手は、私にとってその人がどれくらい暖かいか、そこだけが判断材料で、格式だの、学歴だのは関係ないんです。
パラサイトは何も満たしておらず、コンプレックスが相当強いのか、ただただ家の事だけで相手を見下すので、私は言う事は一切聞かない。生意気に見えるんでしょう。でも、同じ50歳ですよ。あほらしくて相手にしてられません。

お葬式では喪主の次に喪主の妻。喪主の実弟の順位は絶対です。
分家代表の前に立ちはだかる「単なるペーペーの家の出の女」が腹立たしい。
その態度がありありでした。

通夜でのあいさつの仕方について、パラサイトを睨みつけながら夫に小声で「あまりに失礼すぎる。なんなの、あの男は」と怒ってるのが判ったのが、目が合いそうになると途端にそらしました。

義父の通夜で不快な事は思いたくなかったのですが、こういう人間・・・お義父さん。どうかどうか、極楽から何とかしてやってください。
心を入れ替えるように夢枕に立ってやってくださいな。
夫にこれ以上、迷惑を掛けないように。お願いします。

夫が短いながらも、なかなかぐっとくるお礼の言葉を言った時にほろっとした私。
泣くつもりはなかったのですが、ついつい皆さんの前で少し泣いてしまいました。

通夜の席がお開きとなり、鼻をぐずぐず言わせながら会場から出て歩いていると、
談話で輪になっている中の誰かから声を掛けられました。

「おねえさん、おねえさん、大丈夫?」

見ると、奈良県の御代官の子孫の次男さんでした。
我が家のお婆さんが奈良県の御代官の本家から嫁に来ているのですが、
この次男さんはその分家の人です。

結婚した当初、何度か家に来ましたが、それ以来なので10数年ぶりでしょうか。
その当時は私の下の名前で「〇子さん」と呼んでいたはずですが、
今回初めて「おねえさん」と呼ばれました。

この人から見ると、夫は又従兄弟かな。その嫁である私は「おねえさん」になるんでしょうかね。
呼び方としてね。

納棺の最中に来られた女性の親戚の息子さんからも「おねえさん」と呼ばれました。

代が替わったせいなのかなあ。。。〇子さんではないのは。はて。

嫁いだのが30歳。20年経って50歳。
なんだかんだあっても、居座り続けている間に「おねえさん」と呼ばれるようになっていたのでしょうか。
少し距離が近くなった感じは致しました。

そこを通り過ぎると、税理士さんと司法書士さんに呼び止められました。
今後の事が不安であること。なんだかんだ言ったって、義父あっての我が家でしたから・・・と、そこで号泣。
うんうん、と税理士さん。

お手伝いをしてくれていた村の女性お2人がまだいらしたので、そこへもご挨拶。

そんなこんなで、長男の嫁として、以前よりはしっかり乗り切った感がなきにしもあらずでしたが、あのパラサイトだけは本当に・・・。
ますます戦う意欲が湧いてまいりました。
何をどう筋違いの陰口を振りまこうと、自分が正しく行動していれば、悪口を言う方が恥をかくということ。そのうち知ることになりますように。

告別式の話はまた後日。

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守らねばならぬ。

chichibi224.jpg

暫く更新が途絶えておりました。

なんだかんだと色々起こり・・・。


写真は、ご飯を食べた後の月乃。
家の中から外に向かって鳴いているんです。
みんなを呼んでいるかのようです。

3日ほど前から、家の中、それもキッチンと居間の間でご飯を出すようにしています。
今まで玄関を出たすぐ横の餌場に出しに行ってましたが、家の中でご飯を食べることに馴れて貰いたくて。

一応、全員食べる分には抵抗ないみたい。

ただ、玄関は当然開け放したままです。
数か月この状態を続けてみようと思っています。

月乃だけは、なぜか食べた後も居間に陣取り、まったりしていることが多くなりました。

そんな月乃をほったらかして、部屋に戻って、中の子達のご飯を出して、トイレ掃除もして居間に戻ってくると、まだ同じ場所に座って寛いでいたり。

「あんた、そうやってると、家猫じゃんね」と。

この子は一番順応性が高そう。

みんながこうやってくれる日が1日も早く来てほしいものです。


チーズファミリーのために、家も庭も残したい。残さないとダメだろうなって、そこは相変わらず思っている私。

でも、実際問題、税理士さんとお話しして、相続税の面で時間稼ぎは出来ても、最終的には手放さないと無理だと解りました。

それはいつなのか。

二次相続の時点で・・・なんですけどねぇ。
それまでに処分せねばならない物件とか色々ありそうで。

当面は、一次相続をなんとかこうとか凌ぐこと。
これが出来るかどうかで、来年どこに住んでるかまで変わって来ちゃう可能性があります。

嫌だなあ・・・。

せめてあと3年ほどはこのままでって思ってるのに。

義父がすべてを握ってやってきたのを、認知症を機に私が通帳を取り上げ、色々調べると破産寸前の状態発覚。
それから10年。義父の物件やらなんやかんや、とにかく私に出来る事は無い知恵を絞り、胃に穴が開きそうな状態を経験し、立て直しを頑張ってきましたが、誰かさんがお金を貸せだの言って来るし、永遠に家賃収入で義父のお金が増え続けると勘違いしてる人はいるし、何にも知らない~関係ないし~と、関係おおありの癖に私に全部押し付ける人はいるしで、もう頭に来ていました。

で、当の義父は90歳になり、施設から病院へ移ってただ今治療を受けています。
肺炎が起こったそうで、その薬が効かなければ1週間もつかどうか・・・だそうです。

相続税の事で色々頭を悩ませているのは、多分この家の中では、なぜか「嫁」である私なのでしょう。

実際に実務を引き受けて頑張ってきたのは私ですが。
もう今後は自分たち夫婦の事を一番に考え、猫達の生活を守る事に徹したいと思います。

本心は、自分たちが過ごしやすい家を建てたかったんですけどねぇ。

でも、猫達がいる間はそれも金銭的に無理ですし。
まずは税金!
合法的ヤク〇のお国にがっぽり持って行かれますから。
借金返済も続きますし。
もう嫌です。正直、私がやることか?と思います。

しかし、猫の為です。はい、それだけです。

これをやり遂げないで、私は人として生きて行く事は出来ません。

一生後悔する。

と、まあ、税理士さんにさんざん訴え、究極の2案を提案してもらうことになりました。

義父が今回の治療を乗り越えて持ち直したとしても、またすぐ同じことで悩むことになるでしょう。
今、しっかり決めてしまわねば。

この家を取り巻く人達と、私達夫婦&ニャンズの生活のために戦います。

てなわけで、もしかしたら家の中での生活に変わらねばならないかも?ですから、チーズファミリーをこうやって慣らしていこうとしているわけです。

もっと早くからしておけば良かったかなあって思うけど。

願わくば1年以上はまだ時間的に他へ移るまでの余裕がありますように。


しかし、移るとなると大変です。その頃まだみんな健在だとしたら猫11匹。
人間2人。
会社の事務所も必要。倉庫も要る。

うへ~~。どこかのハイツに丸ごと移るしかないかなあ・・・。

まだ義父が亡くなったわけでもないのに、こういう事を一生懸命考えるのは不謹慎かもしれませんが、誰か一人でも考えておかないと~と思っています。

どうせ、こっちに押し付けてくるんでしょうからね。

この家の人達には、先を見たり読んだり考えたりする人が居ません。
それが根本の問題みたいです。

「何とかなる」が口癖みたいですが、何とかしてくれる人がいたから何とかなってただけって事も、いい加減気づきましょうね。
もう、それぞれが自分たちで何とかしなきゃいけないんですよって、言いたい。
それとも、必ず天が味方してくれるとでも思ってるのかな?
現実が見えないというのは、致命傷です。

さて。不測の事態に備えて、某金融機関の出来ない君を呼び、義父の通帳からまとまった金額を下して持ってくるように言いました。
ああ。。。しんどすぎる。

当分の間、まともな更新は出来ないかもと思いますが、ぐちぐち言いたくなったら、また更新します(笑)

こんなつたないブログを、いつも見て下さる方、拍手を押して下さる方、ありがとうございます。

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他にもあるのに。

anzucyacya4_201310141329594a4.jpg

猫座敷には、ヘルスウォーターの水飲み用ボウルが1つあります。
数年前に買いました。
お水が美味しくなるので、猫がよく飲んでくれると評判だったので試しに買ったんですが・・・
我が家では、びっくりするほどよく飲む!とまではいきませんでした。
まったく誰も口を付けない日もよくあります。

でも。毎日水を入れて置いておきます。

今日は珍しく、チャチャがそこで飲み出しました。

で、見ていると、途中からあんずが乱入。
無理やり一緒に飲もうとしていました

あんずだって、このボウルからは殆どお水を飲まないんですよ。
なのに、何を思ったのやら?

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しつこく粘っています、あんず。
多分、チャチャの方が優勢に思えますが(笑)

それが証拠に、たっぷり飲んで満足したチャチャが去った後、あんずは一生懸命飲んでました。

水飲み用のボウルはあと2箇所に置いてあります。
一番人気は、普通のプラスチックのボウルで、ケージの中にセットしてあります。
ここは6匹全員がよく飲みます。

もう1つは、私の寝室に。これまた普通の陶器で、100均で買ったボウル。
これはチャチャが主に飲んでいます。

ヘルス~のボウルは、3番人気なんですよね、実は。

そういえば、随分前に、寝室にある100均のボウルでも、同じように頭だけおしくらまんじゅうをしていたことがありましたっ!(笑)

ヘルスのボウルよりももっと小さいってーのに。

なんだか、久々にクスっと笑える2ニャンを見たのでありました。


チャチャは手術を終えて、もう1か月になりました。え?もう?1か月経った?ってちょっとびっくりです。
先月の今頃は、まだ術後の点滴を繋がれていましたからね。
剃られたお腹も徐々に薄くて細い毛に覆われて来ています。
冬が来るまでに、もっとフカフカに生えるといいね。

あんずは、相変わらずの様子です。今月末には検査に行く予定。
2ヶ月ぶり。どうなってるかなあ数値・・・。
ちょっとつまみ食いが多いからなあ、このところ。

まあ、そんなこんなのあんずですが、チャチャを可愛がってくれております。
面倒見が良い所は褒めてあげるよ、あんず。
カリカリの盗み食いは・・・ちょっと控えて欲しいところですけどね。


☆アルミ缶持ってって~!

ゴミを指定された場所に毎回捨てに行くのは当然でありますが、猫缶とか結構な量になり、また夫や私もペットボトルのお茶を沢山飲むので、その量も半端なく多いです。
資源ゴミは1か月に2度の回収しかありません。
一度出せないと、次までにまた溜まる溜まる!
回収時間が早いので、寝坊して出せない事もあるもんで・・・。

ところが、最近この付近に回ってくる古紙回収業者さんが入れて行ったチラシには、アルミ缶の文字が加わっていました。
あ、回収してくれるの?アルミ缶!やった~!

でも、人間用じゃなくてもいいのかどうかは聞いてません。
なので、一度問い合わせておこうかなと。
猫缶の80%はアルミ缶です。我が家の場合は。
もし、これを回収してくれるのなら、出しそびれて溜まるって事は避けられるし、お金も少し頂けますから、猫缶もOKって言って貰えたらありがたいなぁ。
それに回収は午後からですから、こちらもゆっくりと準備が出来るってもんです。

以前、夫が村のゴミ捨て場に捨てに行った時、前会長さんの奥さんが、ペットボトルやらカンカンやらを洗いなおしているところに出くわしたそうで、こう言われて帰ってきました。
「缶詰の蓋が缶の中に落ちてると洗いにくいから、蓋は普通ゴミに入れておいて」って。

はい?・・・
うちは洗って出してるから、この人に洗いなおして貰う必要を感じてませんしねぇ。
それに、蓋だって、アルミかスチールですから、資源ごみなんすけど?

何を言ってるのだろう・・・このお人は。

ちゅーか・・・ピカピカに洗いなおして出さねばならないなんて事はないんですけどね。
市の広報にも「さっと洗い流す程度で構いません」って出てますし。
うちはそれを満たしておりますので。
だから余計なお世話を自己満足でやってるようにしか見えませんし、その上、間違った捨て方を強要してくるなんて。

それ以来、ものすごーく嫌なんです、村のゴミ捨て場にカン類を出しに行くの。
あ、出しに行くのは夫ですけど、また何か言われるだろうって想像するだけで虫唾が・・・。

なので、スチール缶は別として、アルミ缶が業者さんに貰ってもらえたら嵩もぐんと減りますし。
紙ラベルきちんと剥がしておいたら、きっと業者さんもそのまま持って行ってくれると期待しております。

色んな人がいますけどね。洗い直す必要があるかどうか判断するのもね。
しかし、中身が入ったまま捨ててあるのを見て「これはいかんな~」と洗い流すのは分かりますけど、洗ってある物をまた洗いなおすのなら、失礼な話だと、内心思っています。
他の方々も中にはそう思ってる人がいるかもしれません。
自分が気に入らないから・・・って事だけでしょう?って言いたくなりますし。

普通ゴミに缶の蓋・・・それを「回収出来ません」って置いて行かれたら、誰が責任とってくれるのぉ~?

お年寄りのこういう得手勝手な判断は、本当に当惑させられます。
洗いにくいのはあなたの勝手。はい、それ以外にございませんことよ。

テーマ : 猫のいる生活   ジャンル : ペット

20年。

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私が猫人生をスタートさせるきっかけになった庭猫のシャム。
名前もそのままシャムなんです。
嫁いで来た時、すでに納屋かどこかで生まれていて、出会った時は1歳足らずだったと思います。
写真は、出会って翌年の1994年9月。

この子と出会ってから色んないきさつが重なり、庭猫7~8匹を世話して見送り、あと2匹はサンディとチョボで、家猫として猫生を終え、別の場所で保護した子達は家の中で年をとり、庭には新たな家族が登場し・・・。

一度猫が来ると、切れることがない・・・とどこかで聞きましたが、まさにその通りの日々を送ってきました。

そして、20年経ちました。

20年前の10月10日。私は夫と結婚し、20年前の今頃は、結婚式も嫌々やった2次会もやっと済み、式の為に我慢して伸ばした髪を、2次会終了直後に美容院に駆け込んでバッサリ切ってもらってから、夜間窓口へ夫と一緒に出向いて、婚姻届を出し、ホテルが用意してくれた部屋に泊まって、「ああ、やっと面倒くさい事が全部済んだ!明日から北海道旅行だ~♪」と思っていたのでありました~。

10年目の時は、まだあまり自分にとってしんどい事はなかったけど、
更に10年を重ねてくると、その間に想像もしていないような事に出くわしたり、責任が増えたり、嫌な事が山ほどあったりと、青息吐息の年も何度か巡ってまいりました。

何とも残念な事に、50歳という節目、そして結婚生活20年という節目なのに、良い事より辛い事が多くなった2013年。
といっても、お終いまでにはまだ時間がありますから、年末に「大逆転ホームラン」が起こらないとも限りません。


しかし、何とあっという間だったことか。20年。
この20年の間に何万缶の猫缶を買ったのかなあ?カリカリは?おやつは?
病院代は?生活用品は?
もし、全部記録していたら驚くほどの額になったかも。
ひょっとしてひょっとしたら、中古の家1軒くらい買えちゃったかも?(笑)

数字に直して実際に確認出来たら、それはそれで面白いと思えたかも。

そして、完全犬派だった私が、猫を理解できるようになったことが何よりな事だと。
この20年は本当に、猫には恵まれた20年でした。
沢山のにゃんこ先生がいましたから。

大変な看護もあり、考えに行き詰ったりしたこともありましたが、たくさんの貴重な経験をさせてもらえた20年間でした。

猫が居ない生活だったら・・・多分、とても気楽なんだろうとは思いますよ。
行きたいところへすぐに行けて、貯金も減る事なく(笑)
自分たちの健康だけに気を遣っていればいいし、仕事で帰るのが遅くなっても気にしなくて良いし、
光熱費だってうんと安く済んだに違いないし、そういう点だけ考えると楽に決まってます。

でも、夫以外に家族が居ない私ですから、「ただいま」とか「行って来るよ」と声を掛ける対象がたくさんの猫というのは、たとえ返事をしてくれてなくても、「居る」という空気感だけで随分孤独が紛れます。
そして何より、大切な存在ですから。楽じゃない生活であっても、頑張れる原動力になってますから。
そんな原動力になってくれる存在って、なかなか出会えない。

うん。この〇〇家は好きになれないけど(笑)ここに来て良かった。

30年目は私は還暦。さて。猫達はどうしてるかなあ。

多分ここからの10年もあっという間なんでしょう。
自分の体にはますます気を付けていかないと。最期まで面倒みなきゃ!ですからね。


20周年というのに、夫は朝からぎっくり腰で会社も休んで寝ていました。

なので、大変地味な結婚記念日でしたが、料理だけは久々にしました。
いや、ほんと、このところ、大半を夫が作っているので・・・(笑)

tabemono81.jpg

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料理したって言っても、焼いただけだし、お魚も薄く切ってカルパッチョにしただけだし、スープは出来合いだし。

本当の事を言うと、朝からたっぷり時間を取って、若かりし頃のように、あれ作ってみようかなあとか思って張り切りたいんですが、どうにもこうにも。これで精一杯。
それでも久々にお肉の塊を食べました(笑)

しかし、何ですな。

料理の手抜きをしたり、作る回数が減ってくると、本当にいざやろうと思っても、なっちゃいない料理しか作れなくなりますね。
このところ、あまりに雑な料理しか作れず、もうはっきり言って料理からは引退しようかと思っています。
元々苦手だったし・・・。本を見るのは楽しくて好きだし、気に入った物は作ってみたいと思って張り切るんですが、日々の・・・お惣菜はもう・・・ネタを考えるのに辟易としてきましたし。

出来れば、これからは日本酒に合うおつまみ作りの勉強をしたいです(笑)

と、落第主婦の願望で20年を締めくくると致しましょう。

テーマ : 日々のつれづれ   ジャンル : 日記

何ともはや。

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猫座敷の廊下で、秋の陽だまりの中転寝するあんず。


今日は、約束通り、Iさんが大工さんを連れて来てくれました。

まずは前栽側から屋根に登って、猫達が出入りしている穴を確認。

どうやら瓦も1枚落ちていて、穴も漆喰が落ちてるような???

続いて、猫座敷の欄間を外してみました。
しかし、残念ながら狭くて体がなかなか入りそうにないのと、
鶴の間(江戸時代エリア)と、猫座敷(明治時代エリア)の境目は壁になっていて、天井裏は繋がっていない事も判明。
ただし、猫が通れそうな隙間は有るので、そこを通って猫座敷の天井裏も歩いているのでしょうね。

猫の足音は、江戸、明治時代のどこからでも聞こえてくるし、実際に移動していくのを私が追いかけて、天井をトントンと棒で突いていることもありますから。

てっきり人間もツーツーで移動できると思ってたけど。
建て増しした明治時代エリアへは、人間は行けないんですなぁ。。。

あれこれ話し合った結果、母屋の土間の天井付近の壁に穴を開けて、そこから中に入る事になったみたいです。

そこ以外で穴を開けると、天井裏に盛ってある土がたくさん落ちてきて大変だし、土間ならまだいいかってことで。

これ以降の事も考えて、点検口は作っておいた方がいいみたいですしねぇ。

欄間から入ってブツを片付けて、出来れば穴を何かで仮に埋めておいてもらうという考えは不可となりました。

ああ、一体費用はどうなるのだろう・・・。
やってもらうのは、穴あけ、中の確認、そして穴を塞ぐ。これだけなんですが。
他の箇所も直すとか、そういう事は一切考えませんし、言われても無理・・・。

チーちゃん達を見送るまであと10年くらいを見てるので、その間暮らせたらそれでいいと思ってますし、死ぬまでこの家にいる事は諸事情により難しくなってますから、あれもこれも修理する気はありません。


穴を埋める案としては、鉄条網を丸めて突っ込むとか、発泡性?の何かを埋めるとか出たみたいですが、Iさんがそれを聞いて私に・・・

「でも、猫ちゃんが傷ついたらダメですよね?」と囁きました。
勿論です。
相手が野良さんであろうと、チーズファミリーであろうと、傷ついてはダメです。
大工さんも「あ、その点があったなぁ。じゃあ、鉄条網は無しね」と。

まず大事な事は、作業する際に猫が居ない事を必ず確認。
そして塞ぐこと。

その確認をするためには、やはりちゃんと潜れる穴を開ける事が必要で、こうなりました。

作業はいつするのか判りませんが、準備をしてきますと言っておられたので、今月中には取り掛かる事になるのかなあ。

ああ、何だかちょっと大がかり。昔の家って本当にこういう時やっかいです。
普通の家に住んでいたらやらなくても良い事が多すぎる。
と、Iさんに愚痴った私でした。

さて。先日岩合さんの写真展に行った事のお礼をIさんに言いまして。

行けなくなった筈が、行けるようになったいきさつもついでにお話し。
チャチャに癌が見つかって、でも、早期発見、早期手術だったので・・・と。
費用についても話をすると、「うわ~」って顔されました(笑)
「でも、命には代えられへんからね」とは、2人とも同感で。

庭に出て、母屋を見ながらみんなで談笑タイム。
萱を拭くのは大変という話とか出ましたけど、もう職人さんが居ないので、お願いすると物凄く高く取られるよ~とは大工さん。
勿論知ってますともさ。そして、それをする気はさらさらないのでありました。

Iさんがチーズファミリーの寝床を見つけて、
「あれ、庭の猫ちゃんの小屋ですか?」


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2011年10月に、築14年ほどでボロボロになっていた猫小屋をリフォームした時の写真です。

小鉄達が入ってた頃は、こんなのではなくて、単なるべニア板むき出しの小屋。
風雪にさらされ、板の表面が剥げたりめくれたり割れたりで、捨てようかどうしようか迷ってた時にチーズファミリーが登場となったので、マンションの壁紙選べます作戦で使用していたサンゲツさんの高級クロスの見本を貰ってきて、それを使って私がリフォームしたのでした。

そのいきさつを説明すると、
「サンゲツさんの高いクロスなんて、家でも使ってませんよ~貼ってみたいわ~」と言ってました(笑)

だって、勿体ないですもん。普通ならもっと小さな30センチ角ほどの見本しか出してもらえないところを、猫社長さんが1メートルほどの大きさで30種類も見本を出せるようにしてくださったのに、リニューアルの時期だからと、それを捨ててしまうなんて。

しかし、Iさんは私が猫のためなら何でもやるタイプだと分かってくれているでしょうが、大工さんや、Iさんと一緒に来たもう1人の社員さんは、猫バカだな~って思ったかもね(笑)

まあ、小屋に関しては、チーズファミリーの為に補修が必要なのもあったけど、クロスまで貼ってビニールでコーティングしたのは、明らかに私の自己満足ですよん。フッ。

ま、そんなこんなで話は終わり、皆さんお帰りになりました。

天井裏問題に関しては、猫達に傷がつかないよう、そして安全を確認して作業に取り掛かるということで、思ってたより手が入ってしまいますが、致し方ないですな。

今日は私自身は何もすることがなく終わりました。

Iさんや大工さんが部屋に入られるので、窓ガラスを全部磨いたりと、色んな掃除を数日かけて頑張りました。
色んな所に目をやられる事は無かったので、掃除しなくても大丈夫だったかも?って思ったけど、お蔭で綺麗になったので、これはこれで良しとするかいな。

猫達は全員、私の寝室に入ってもらって、襖を締切ました。
全員とっても大人しくしていました。
バタバタと逃げ回る足音もせず。思い思いの場所で寝ていました。

昔に比べて少しだけ、知らない人の声や足音に寛容になったのかな?


さて。暫く天井裏問題に関しては待つしかないので、溜まった経理を片付け、支払いをし、義父の訪問診療をしてくださっている先生に書類を送ったり、法務局へ出向いたりと、用事を出来るだけ片付けておきましょう。

テーマ : 日々のつれづれ   ジャンル : 日記

 いらっしゃいませ
プロフィール
HP「サン・チョボ家へようこそ」

家主です。

Author:家主です。
家猫6匹+庭猫5匹の母業にいそしむ猫バカです。愛玩動物飼養管理士1級です。でも 落ちこぼれなので あんまり質問しないでね(笑)
関西在住。趣味はピアノ(ショパン大好き!)歌うこと・旅行・食べること!
でも、キュウリとアンコは嫌いです(笑)
好きなピアニストは クリスティアン・ツィメルマンとマウリツィオ・ポリーニ。こんな私ですがよろしくお願いいたします☆

サンディ
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