fc2ブログ

お世話になりました。

sandy143.jpg

今日は晦日です。
明日で2010年も終わります。

皆様にとって、今年は良い事がたくさんあった年だったでしょうか?


私にとっては、プライベートにおいても、仕事においても辛い1年でした。

佐助、サンディと、サン・チョボ一家の大きな星が相次いで旅立ちました。
また自分自身の状態も、あまり芳しくなく、
例年に比べてダメージの大きな年になってしまったように思います。

自身の事は、来年からカウンセリングなどの治療で回復を目指そうと決めています。

猫達のことは、今までと変わりなく世話が出来るように。
また仕事においても、荒波をなんとか乗り切っていけるように。
姑の退院後のことも、夫の協力を仰いで、
今までのように被害が私に集中しないようにしていきたいと思っています。
その点はケアマネさんにも色々ご相談させていただいて、
私の状態をご理解いただきたいと思います。

抱えすぎていた荷物を、少しは降ろさせてもらえればと思っています。


来年は卯年で、私は年女です。
私が生まれた年代の、来年の運勢はあまり良くなくて、
色んな事を整理・縮小するべき年なのだとか。
家のことも仕事のことも、某か片をつけなければならない事がでてくるのかもなぁ。

来年の運勢を読むと、前向きな気持ちが折れてしまいそうなことばかりでしたが、
来年からは、自分のことをまず第一に考えて過ごしてみようと思っています。
夫も定年を2月に迎えます。
二人三脚で頑張っていけたらなと思います。


今年も、皆様にはとてもとてもお世話になりました。
不幸に見舞われた私ですが、皆様の暖かいお気持ち、お心遣いで、
どれだけ救われたかわかりません。

本当にありがとうございました。

また、新しくお友達になってくださった方。
初めてコメントを下さった方。
以前から変わらずお付き合いくださっている方。
皆様とお話できて、良かったです。感謝です。


来年もまた、お付き合いくださると嬉しいです。

皆様にとって来年が良い年でありますように。
本当にお世話になりました。

ありがとうございました!



niwa251.jpg

去年花を始めた時に、勢いで買ってしまったシャコバサボテン(私のざこば師匠)ですが、
ほったらかしておいて、7月から水をやり始めたら、
花が咲いてくれました♪
クリスマスカクタスという名前になっていたのですが、
クリスマスに満開!とはいきませんでした。
でも、花が付かず、単なる観葉植物になってしまって困っているという話をあちこちで聞いたので、
こうやって咲き出してくれただけで満足です(^^)


では。皆様。良いお年をお迎えくださいませ☆
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます☆


スポンサーサイト



テーマ : 日々のつれづれ   ジャンル : 日記

ねこものがたり♪佐助と銀の話。

たまから生まれたジャップ。
そのジャップが2年目に産んだのは、佐助と銀を含めた5匹の猫達でした。

sasuke50.jpg

gin1.jpg


私が佐助達を見たのは、生後1ヶ月ほどの頃だと記憶しています。
いつ生まれたのか、日にちまではわからないのですが、
5月末には生後1ヶ月くらいだろうという大きさだったので、
5月1日を誕生日にしています。

5匹の小さな子達は、門の前でコロコロと転がって遊んだり、
トコトコと走り回っていました。
親のジャップがとても気が荒いので、
ハナの子達のように触る事はできず、
ただただ、可愛いなあと、遠目から見ているだけでした。

しかし、5匹のうち3匹は知らない間にいなくなっていました。
理由は分かりません。


佐助と銀が私の家にやってきたのは、私の誕生日の夜でした。
その頃は完全室内飼いの子達がいなかったので、
蒸し暑い夜、玄関を開け放していたのですが、
何かの気配を感じて玄関を見ると、
トコトコと2匹の子猫が座敷に向かって入ってくるのを見つけたのです。

ええ?っと思うまもなく、
後に佐助と名づけられた猫は、迷うことなくまっすぐ私の膝の上に登り、
くるくると回ったかと思うと、そこで寝てしまいました。
驚く私を尻目に・・・なんともスヤスヤと。

もう1匹は、警戒しながら部屋の中をうろうろし、
私と目が合うと、ささっとカーテンの陰に隠れるなどして、
まったく正反対の性格をしてるのだなと思いました。

その翌日からです。
2匹揃って、食事に来るようになりました。

なので、名前をつけなければと思い、夫に相談すると・・・
水戸黄門に出てくる「佐助」と「お銀」でいいじゃないかと言われ。
そうですね。そうしましょう。
ということで、佐助と銀になったのですが・・・

夫は銀のことを、女の子だと勘違いしたため、
お銀と名づけたのですが、男の子だったので、「お」を取って「銀」になりました(笑)

佐助は手足もがっしりしていて、これは大きくなるだろうと思いました。

生後7ヶ月頃、銀の様子がおかしく、病院へ連れ行ったのですが、
幽門部の病気との事で、手術が難しいらしく、
結局2年もの間、家猫(出入り自由)として看護したのでした。
食べたものを噴水のように吐く。
それが毎日でした。
吐かない時もあったのですが、いつ吐くかわからないので、
銀を世話している2年間、夜になるとあちこちに新聞紙を敷き詰めて寝ていました。

彼も佐助と同じように、甘エビが大好きでした。
缶詰、カリカリ、甘エビと、吐くことが多いので出来るだけ好きな物をあげていたのですが、
結局治ることはなく、2歳7ヶ月という短い生涯を家の中で終えました。

銀が亡くなったのは、夜中でした。
私が一度トイレに立った時には生きていたのですが、
その後、眠って朝起きたら・・・もう天国へ行っていたのです。
もっともっと傍についていてやればよかった・・・

病院の先生は、この状態で2年も生き延びたのは奇跡でしたよと仰いました。

神経質で臆病な銀でしたが、
私が横になっていると、いきなり頭皮で爪を砥いで一目散に逃げたことがあり、
その頃から、私との距離が縮まったように思います。

サンディやチョボによくくっついて寝ていました。
体が成長する事はなく、2歳を過ぎても生後1年も経ってないような体格でした。

その分、佐助は本当に大きく育ちました。
銀の分までしっかり生きたと思います。

佐助は、生涯庭で暮らしました。
一度も家猫になることを選びませんでした。
それは、庭に大好きな兄・小鉄が一緒にいたせいでしょうね。
どこへ行くにもべったり。
姿を見ると駆け寄ってべったり。
甘えん坊全開だったのです。

佐助も小鉄のように口内炎を起こすことが増え、
小鉄と共に通院も何度もし、歯石取りも行いました。
また抜歯も彼は沢山しています。
投薬も2年近く行いました。

そのお陰か、晩年の3年ほどは薬要らずになりました。

佐助の看病で一番大変だったのは、8歳になる直前、
原因不明で体調を崩し、どんどん痩せていった時でした。
それは11月~2月の寒い時期で、
通院が必要と言われ、捕獲するのに苦労したのです。
夜遅くでもいいから連れてきてくださいと言われたので、
とにかく捕まえねば!と思ったのですが、
その頃建っていた納屋の二階に身を潜めていたりして、
私は梯子を上って、床が抜けそうな2階に潜って探したり、
とにかくありとあらゆるところを毎晩遅くまで探す日々が続きました。
4時間もかかって捕まえたことも数回ありました。

原因は結局わからなかったのですが、
ステロイド注射などで2ヶ月ほど通い、ようやく元気が出てきて、
体調も戻り、食事も普通にするようになって、
無事に8歳を迎えることが出来たのでした。
彼はエイズ陽性と言われていたので、それが発症したのかとヒヤヒヤしたのですが、
それから7年近くを無事に生きたので、
エイズは発症しなかったのですね。
白血病にもかかりませんでした。
毎年きちんと予防接種だけは続けていましたから。

投薬も工夫が必要でした。
缶詰に混ぜても食べてくれない薬があったからです。
そういう時は、缶詰の中に薬を仕込み、
それを小さく小さく丸めて、その上にまぐろの切り身を小さく切って乗せました。
私はそれを「佐助鮨」と名づけています。
そうです。見た目がお鮨に良く似ているからです(^^)
通院が続くと警戒して暫く傍に寄らないので、
佐助鮨を佐助の前めがけて放り投げるのですが、
それを口に入れてくれることは10回のうち半分いくかいかないかと言う感じでしたね。


彼はご存知のように、15歳まであと1ヶ月というところで天国へ旅立ちました。
最後に私が見つけられるように、姿を現してくれました。
あれからもうすぐ8ヶ月になろうとしています。

14歳11ヶ月の充実した庭猫生活。
大好きな兄・小鉄より長生きでした。
兄弟の銀の何倍も生きてくれました。
甘えん坊で、おなか丸出しのおまぬけな寝相は一生忘れないでしょう。
本当に可愛い子でした。


sasuketen1.jpg

そんな佐助は、ハナが初産で産んだ中の1匹、テンという女の子に好かれていました。
テンがまだ6ヶ月くらいの頃の写真でしょうか。
佐助がテンにおっぱいを吸われている写真です。
この頃は、よくこうやっておっぱいを吸われていたのです(^^)
佐助とテンは、同い年ですが、1ヶ月ほどテンの方が遅れて生まれたと思います。


kotetugin1.jpg

こちらは、兄の小鉄と並んで寝る銀。
小さいでしょう?
まだ1歳になるかならないかの頃ですが、それにしても小さいのです。
この写真の時には病気が発覚していました。

本当によく頑張ったと思います。



☆いただきもの。

お友達のピエールさん(猫息子はピエール。リンクにあります)から、
クリスマスプレゼントを頂戴いたしました。

pie-rusanyori10.jpg

ピエールさん手縫いのランチョンマットです。
刺繍入り♪

このランチョンマットは、サンディを思い浮かべながら作られたそうです。

pie-rusanyori11.jpg
刺繍のアップです。
ワタクシ、裁縫はとんとダメなので、出来る方が羨ましい限り。
ちょっと来年当たり、本でも見ながら何かチャレンジしてみようかなあ。
そんな気分にさせて頂きました(^^)

それから、猫達への贈物も。

pie-rusanyori12.jpg

ピエールさんの愛猫・ピエール坊やが大好きと言う玩具「コメット」です。
キラキラしていてとっても綺麗!色も綺麗ですね♪
みんな大喜びすると思います(^^)
年末でバタバタなので、元旦になって落ち着いたら、
これで目一杯遊ぶぞ~!みんな、楽しみにしててね♪
おやつもあるぞ~!良かったね、みんにゃ♪

ピエールさん、お忙しいのにお心遣い、本当にありがとうございました。

ランチョンマット、早速使わせていただきましたよ(^^)

syokuji68.jpg

昨夜の晩御飯です。
私がさぼったので(笑)夫が作りました。
可愛いランチョンマットのお陰で、いつもより食卓が明るくなりました。
ありがとうございました!



次は、ハナが産んだクッキー・ジャッキー・テンのお話です。


テーマ : 猫のいる生活   ジャンル : ペット

サンタクロース。

今日はクリスマス・イヴ。
皆様、良い1日をお過ごしでしょうか?
大阪はホワイトクリスマスにはなりそうにありませんが、
とても冷え込みがきついです。
その分夜空も澄んだ感じで、星が明るく瞬いております。

さて。私にとっても待ちに待ったこの日。
私にサンタクロースさんがやってきました。
と言っても、来られたのは女性ですけど(^^)

先日、私のレグニカの不調を見てくださった方が、調律に来てくださったのです。
電気の棒を入れたまま今日まで様子を見ておりました。
一切触れてはならなかったので、どうなってるかな?とちょっと不安。

お約束は3時半。
来られてからさっそくピアノのメンテナンス開始です。

piano1.jpg

子供の頃は調律のみのメンテナンスで、
しかも親が応対していたため、私は間近で全ての作業を見る機会がありませんでした。
このピアノに関しても、義弟の知り合いが調律していたので、
私はお任せでその場に立ち会うこともありませんでした。
(かなり苦手なタイプの人だったので避けていたというのが本音・笑)

なので、鍵盤をバラバラと取り出されたのを見て、実はびっくりしたのでした。

思わず・・・

「写真撮っていいですかっ!?」(笑)

と言って撮らせてもらったのが上の写真です。
簡単に取れるんですね~知りませんでした(@@)

アップで見てみましょう。

piano2.jpg

白鍵と黒鍵の間はこんな風になってるんですね。
よほど高級なピアノで無い限り、一般的な鍵盤は材質が木なので、こんな感じですが、
象牙の鍵盤だと、きっと中も真っ白なのかな。
見たことありませんが・・・買えるようなお値段ではないので。

このようにして、奥にあるゴミを掃除したり、
打鍵した時に触れ合う部分の摩擦を減らすために、
滑りやすくなるような物を塗られたりと、初めて拝見する作業に興味津々。


piano3.jpg
取り出されたハンマーの部分です。


打鍵後のハンマーの戻りが悪かった点は、
電熱棒のお陰で改善されていました。
ピアノの中の温度が急激に変わったことによって整調が必要との事で、
まずはその作業から入られました。

さすがに作業中のお写真は遠慮しましたが、
ドライバーを片手にあちこち調整されてましたよ。
それは何ですか?とお聞きしたい物体も目に入ったのですが、
お邪魔になってはいけないと思い、黙って後ろから見ていました。

細かい作業が延々と続きました。
大変なのは、鍵盤のそれぞれの高さを均一にする作業だったかもしれません。
スケールを当てて、ほんの僅かの高さの違いがあれば、
また鍵盤を取り出して中に何かを入れたりして、
高さを合わせているように見えました。
ミリより細かい単位の作業に思えましたよ。そりゃそうですよね。
鍵盤がでこぼこだったら話になりませんもの。

その作業に約2時間弱かな。
それが終わっていよいよ調律が始まりました。

私、最近では機械でピッチを調整するやり方が多いってどこかで読んだ気がしたのですが、
サンタクロース嬢は音叉で音を確認してから、
1音1音自分の耳で合わせてらっしゃったように思います。
色んなうねりが聞こえてきて、それがピタっと1本のラインに統一されていくのは、
聞いていてとても面白かったです。
ピタっと合うと心地よく、ほんのわずかのピッチのズレがあると、とても気持ち悪い。
88鍵全てをそうやって細かく調律されてました。

piano4.jpg

調律の途中。
サンタクロース嬢がお手洗いに行かれた間に撮りました(笑)

都合3時間半ほどの作業。
終わったのは7時半前でした。
終わった後、試し弾きを勧められたので、触ってみました。

おお・・・
軽い・・・
鍵盤の無駄な重さがない。
トリルが団子にならない。
音がクリア~!
ダイナミックレンジが以前より良いと思う。

私の耳にも指先にも心地よさが伝わる仕上がりでした。
ピアノカルテのチェックシートには、
ハンマーの多少の磨耗があることや、環境が変わったので不安定になりやすい旨が書かれてありましたが、
普通に弾く分には問題ないようです。

電熱棒の影響を見るために、次回は半年後にもう一度来ていただきます。
安定するまで、少し間隔を短くしてメンテナンスした方がよいのだとか。

明日からの練習が楽しみです(^^)

Kさん。お世話になりました。ありがとうございました(^^)


zakka66.jpg

事務所に長い間時計がなかったので、
猫達へのプレゼントと一緒に買った振り子時計です。
肉球が振り子になっています(^^)
中心の猫の顔が、秒針の動きに合わせて一緒にくるくる回ります。
可愛い♪
結構大きいですよ。
文字盤の表はアクリルが嵌っています。
仕事場がまた明るくなりました(^^)
暗いご時勢ですからねぇ。
事務所の机周りだけでも明るくしないと、気が滅入っちゃいます(^^;)


☆関係ない話。

先週、仕事の手伝いに来てくれた母とお昼を食べた後、
世間話をしている時に、思い出話になりました。
母の実父の話です。
私はまったくどんな人か知らないのです。写真もありませんし。

母が小学生の頃の話。
会社勤めだった母の父、つまり私の祖父は、
毎日きちっとスーツを着て、中折れ帽を被って出社していたそうです。
で、面白いのは、帰ってくる時間になると、
ご近所の奥様達がわらわらと家から出てくるという事。

「なんで?」と母に聞くと・・・

奥様方は「秋山さん(母の旧姓)の旦那さんが会社からそろそろ帰ってくるわよ。見に行かなくちゃ」
ということで、集まって花道ができていたそうです(爆笑)

寄り道など一切せず、毎日定時にきちっと帰ってくる人だったそうで、
その時間になると奥様方が花道を作って待っているのだとか。
そして帰ってくる姿が見えると、いっせいに・・・

「秋山さーん、お帰りなさい♪」と皆さん手を振るのだそうです。

そして、その奥様方に向かって祖父は、
「ただいま。ただいま。」
と、一人一人に頭を下げて挨拶をしてから家に入るのだそうです。

「ということは、男前やったってことなん?」

と母に聞くと、加藤剛さん(大岡越前)みたいな感じだったそうです。
彫りが深い顔だったのですね。

母が小学生だから、今からかれこれ・・・65年ほど前?

何だかドラマみたいな話だなぁ。
本当にそんな事する奥様方がいたんだと思うと、
可笑しくて爆笑してしまったのでした(笑)

それにしても、写真が残ってないのが残念です。
本当にそんなに格好良かったのか・・・見てみたかったのに(^^)

テーマ : 今日の出来事   ジャンル : 日記

一足早いプレゼント。

zakka65.jpg

今日届いた、ステップファクトリーさん製作の「つめとぎボックス」です。

猫達に一足早いですが、クリスマスプレゼントです。
今まで、クリスマスということでプレゼントをしたことが殆どないワタクシ。

今年はちょっと頑張ってみました(笑)

ダブルサイズをお願いして、爪とぎ用のダンボールも2本一緒に買いました。
またたびの粉も付いていましたよ。

anzugure13.jpg

みんな興味津々なのですが、あんずは特にまたたびの匂いに目が無いので、
早速やってきてくんすかくんくん♪
なぜかグレが後ろから、そんなあんずのおちりの匂いをチェックしておりました。

でも、一番最初に爪を研いだのはライスでした。

rice22.jpg

砥いでる写真を撮ったらあまりにブレたので・・・
どうも今度のコンデジ、夜の室内ではそれ用の設定にしないと上手くいかないみたいです。

これは砥いだ後の様子です。

まあ、こうやってみんなバリバリ楽しんでくれることでしょう。


話は変わって、昨日スーパーに行ったら、こんなものを見つけました。

syokuji66.jpg

たった1つだけ置かれていたのです。
博多のおでんのパックです。

思わず、まさに言葉通り、思わず2度見をしてしまいました。

お友達のピエールさん(猫息子はピエール・リンクにあります)から、
以前お聞きしたことがあったのです。
「博多のおでんには、ぎょうざ巻きが入ってる」と。

それはなんぞや?とお尋ねすると、
練り物の中にぎょうざが入ってるとのことで、
博多ではこれがないとおでんとは言えないのだそうです。

一度食べてみたか~♪と思っていたところ、
なんと行きつけのスーパーで見つけたのでありました。
今まで売ってませんでしたけどね。
常に売ってるというよりは、たまたま何かで仕入れて売っていたという印象でした。

少しお高かったのですが、この機会を逃しては、ぎょうざ巻きにありつけない!
と思って買ってみたのです。

syokuji67.jpg

ぎょうざ巻きを半分に切ってみました。
本当にぎょうざが入っていました!
お味も練り物と案外合いますね。
ん。これは好きだな♪

そして、お出汁が美味しかったです!
関西のおでんしか食べたことがない私ですが、
鶏がらの出汁を使っているこのおでん。
ああ、福岡に行ったらぜひとも、その場でハフハフして食べてみたい。
そう思うような美味しいお味でした(^^)

ん~博多のおでん。グッジョブッ!


明日は祭日ですね。

23日。サンディが亡くなって一ヶ月になります。

サンディの居ない生活。1ヶ月かぁ・・・。

居ない事の方がおかしい。そんな気がしてならない1ヶ月でした。

サンディが愛した庭は、すっかり綺麗に整えられました。

綺麗になった庭を、サンディの心と一緒に散歩したいと思います。

皆様も良い休日をお過ごし下さいね。


テーマ : 猫のいる生活   ジャンル : ペット

植木屋祭りだワッショ~・・・イ。

昨日月曜日から、我が家では毎年恒例「植木屋祭り」が開催されておりました。
日程は2日間!

さあ!年に一度の植木屋祭りよっ!
弾けなくっちゃ!

ワッショ~イっ!!!!!


と期待していたのは、私一人だったようです。
今年も植木屋祭りは空振りでした、とほほ~。

毎年あんなに大騒ぎして、私を呼びにやってきたヤムヤムなんか、
去年と同じく、コタツの中でまったりお休み。

隠居に居た時よりも、大画面・大迫力でより一層楽しめるはず!
と思ってたのに・・・なんでかしらん?

かろうじて撮れた写真がコレ

anzu35.jpg

植木屋さんと目が合っているあんずです。
植木屋さん、この後、ニコっとあんずに笑いかけてくださいました。

この微妙な2ショットが、唯一植木屋祭りの写真となり・・・

お昼休憩で誰も居なくなった頃・・・

gure47.jpg


cyacya43.jpg


グレとチャチャがテラスに登場。

でも、植木屋さんが一杯ウロウロしていても、誰も全然怖がってはいないのです。

ただ・・・ただ・・・関心がなくなっちゃったみたい~~。

リオは植木屋さんを見ながら猫コタツの上で横になってたし、
ライスもチラッと見ただけでご飯をモリモリ食べてるし、
ヤムはコタツから殆ど出て来ないし・・・。

お昼休憩から戻った植木屋さん達、今度はかなりテラスに接近しての作業。
その前であんずは・・・

anzu36.jpg

なーんも気にせず、グーグー高鼾でした。

植木屋さんに慣れちゃったのね。もう面白くなくなったのね。
窓辺に並んでいたら、誰かが刈った枝を振って遊んでくれたでしょう?
そんな事は、もう遠い遠い昔の事なのね・・・悲しいわ、おかあちゃん。
植木屋祭りの楽しかった時代を思い出すと・・・

何だか哀愁漂うわ・・・


というわけで、今回も大した関心を寄せることもなく、
2日間の植木屋祭りは終了となったのでした。

もう来年からはカメラを構えるのは・・・やめよっと。


今年の庭木の手入れは、去年と同じく2日で済みました。
その理由は、松の木の手入れを簡単にしたからです。
初日に親方から、訊かれたのですが・・・

「松の木、鋏を入れるだけにするか、手もみ作業をするかどうします?」と。

手もみ作業がどういうものか、詳しくは分からなかったのですが、
とにかく手間隙がかかることだけは分かりました。
なので、今回も鋏だけの作業にしてもらい、
具合が悪ければ来年は手もみを!ということに。
時間がかかると、日数が延びますし、延びると工賃が・・・ね(--;)

昨日は6人ほど来られたので、今日もそうだと思って、
それでも余分に湯飲み茶碗を2つ多く用意して、
計8個と、お菓子を置いて仕事に行ったのに・・・

帰ってきたら、ぎっくり腰で会社を休んでいた夫が言いました。
「植木屋さんが、<すみません~今日は9人来てるんです>って言いに来たから、茶碗1個増やしといた」って。

ええ~~!?

その時電話が欲しかった。
なぜなら、仕事帰りに、3時のおやつを買いに寄っていたからです。
美味しそうなドラ焼き8個を買ったのです。
1個足らんやん・・・

仕方ないので、お歳暮で頂いた高級おかきと、
ホームパイと、ポテトチップスも山盛りにして出しました。
ドラ焼きの傍に「1人分足りません。ごめんなさい」とメモを置いておきました。

朝来られた時は9人じゃなかったのですよ。
最終日だから、途中で増えたんでしょうね。
細かい仕上げ作業もありましたから。
来年からは人数をしっかり確認することにします(^^;)

テーマ : 猫のいる生活   ジャンル : ペット

ねこものがたり♪小鉄・ハナの話。

2代目たまが初産で産んだうちの1匹・ジャップ。
そのジャップが産んだ最初の子達は、小鉄・ハナ・アントニオともう1匹の計4匹でした。

小鉄とアントニオ。ピンと来られた方もいらっしゃるかと思います。
「じゃりん子チエ」から取ったのです。
このアントニオは、私とまったく接点を持たないまま独立していきました。
いつ出て行ったのかもわからなかったのです。
ですから、結構小さいうちだったのでは?と思います。
もう1匹についても、名前を付ける暇もなく居なくなりました。

庭に残ったのは、小鉄とハナだけでした。

kotetu20.jpg

小鉄は小さい頃からしっかりした顔をしていました。
仔猫らしい可愛らしさももちろんありましたが、
どちらかと言うと、クールでキリリとしていて、
仔猫なのにどこか大人びた印象がありました。

私の家に来るようになったのは、生後2ヶ月の頃だったと思います。
小鉄達に関しては、誕生日が4月28日だとわかっています。
私達夫婦が初の海外旅行で香港へ旅立った日の朝、
生まれたと聞きました。

小鉄とハナも、シャムやサンディと共に我が家のご飯を一緒に食べるようになりましたが、
この2匹は、サンディ達と違って、私と少し距離を置くような感じでした。
警戒心が強く、その辺はジャップに似てるのかな?と思ったものです。
人に媚びたり、甘えてきたりということが、子供の頃はまず無かったように記憶しています。

小鉄はその後、少しずつ私に甘えるようになりましたが、
それでも、それはご飯の時だけであって、普段は触ることが難しい子でした。
ご飯の最中、どさくさに紛れて触ったりしていましたが、
この距離感は晩年近くになっても大して変わらなかったと思います。

猫生の後半あたりから、口内炎を起こすことが増え、
歯石取りも何度か行っています。
ステロイド投与による家での治療も、随分長く行いました。
投薬はご飯に混ぜたり、好きな物で包んだりして、何とか可能でしたが、
捕獲して通院する時は、そこそこ技が必要でした。

晩年は骨髄性白血病に冒され、家での看護が必要になり、
11歳辺りから家猫としての生活を送りましたが、
普段滅多に触れなかった子が、私のベッドに入りたがって、
添い寝までしてくれるようになったのは、
彼は彼なりに、私を信頼してくれていたのだろうと、嬉しく思ったものです。

鳩にご飯をあげたり、弟の佐助の相手をしたりと優しさもあり、
また喧嘩も強かったので、野良猫さんと戦って勝ったりと、
とても男らしい子だったと思います。

根っからの「男前」だったと今でも思っています。


hana1.jpg

小鉄と同腹のハナです。
ハナはサンディとの折り合いが途中から悪くなり、
4~5歳になるころ、出て行ってしまいました。
あまり人に懐く方ではなく、ハナの場合も殆ど触った記憶がありません。
でも、彼女は私と距離を置いていても、
やっぱり彼女なりに私を見ていて、信頼してくれているのだと分かった事がありました。

1歳を過ぎた頃、ハナは3匹の子を産みました。
避妊手術が間に合わなかったのです。

ハナがその赤ちゃん猫達と居るところを見つけた私は、
生後まだ半月も経っていないであろうその子達を部屋に入れました。
可愛くて可愛くて、どうしても「ちょっと遊びたいな」という誘惑に負けたのです。

30分ほどよちよち歩きの彼らを眺めて、
可愛いなぁと思った後、元の場所に戻そうと玄関を開けました。
そしたら、ハナが静かにじっと待っていたのです。
そうして、1匹ずつ咥えてもとの場所に連れて行きました。

彼女は怒っていませんでした。

そして生後1ヶ月を過ぎた頃、
ハナはその子達を私にきちんと会わせようと、
玄関の前に整列させて、私が出てくるのを待っていたのでした。

それ以来、親子揃って食べに来るようになりました。
小鉄とハナ、シャム、サンディ、チョボ、そしてハナの子供達。
大きいのから小さいのまでコロコロしていて、
毎日がとても賑やかでした。

ハナはシャムの事がとてもとても好きでした。
いつもシャムにべったりくっついていて、
どこへ行くにも後を追い、
部屋の中でも寄り添うようにしていました。

サンディと仲が悪くなった理由は、未だに分かりません。
出て行ってしまった後、毎日探していましたが、
4ヶ月ほど経って、ひょっこり戻ってきたことがありました。
でも、数日ご飯を食べた後、本当にそれ以後、姿を見せなくなったのでした。

人に慣れにくい子だったのに、居なくなっていた4ヶ月の間、
どこかで誰かにちゃんとご飯を貰っていたのですね。
やせ細っていることもなく、まったく変わらない様子でした。

今も鮮やかに蘇るのは、玄関口で3匹の子猫達におっぱいをあげていた姿です。
授乳の姿と言うものを、私はその時生まれて初めて目にしたのです。
丁度その頃、病院へ通う道の途中で、生後3週間ほどの仔猫を保護したので、
その子のミルクもハナに頼んでいました。
その時の写真が残っていますが、また今度載せることにしましょう。

もうひとつついでに。

小鉄の毛並みと同じ猫がもう1匹居ました。
それは突然の出現だったので、私の驚きと言ったら半端ないものでした。

チョボを間に挟んで、左右に同じ色の猫がいるんですから。
どちらが小鉄か、遠目ではわかりませんでした。
一体どうなってるのだろう?彼は誰なのだろう?なぜここに居るのだろう?
暫く呆然として、その光景をポカーンと見ていた私。
小鉄の毛の色は、他では見なかったからです。
自分の目がおかしくなったのかと思いました。

kotarou1.jpg

それがこの猫です。
顔は小鉄よりやや・・・ですけど(^^;)
毛色はまったく同じだったのです。
そして彼こそが、小鉄の父親だと思いました。
小鉄よりも年がいっていると思われる風貌でしたし、
ここに何の躊躇もなくやってくるのは、ジャップがいたからでしょう。

その後何度も庭に出入りしていたので、
小鉄と区別するために「小太郎」と名づけました。
彼は完全なる野良猫だったのと、うちでご飯を食べる事はなかったので、
私との縁もないまま姿が消えたのですが、
この迫力のある顔は、多分一生忘れないだろうと思います。




次は、ジャップが2年目に産んだ、佐助と銀の話です

テーマ : 猫のいる生活   ジャンル : ペット

 いらっしゃいませ
プロフィール
HP「サン・チョボ家へようこそ」

家主です。

Author:家主です。
家猫6匹+庭猫5匹の母業にいそしむ猫バカです。愛玩動物飼養管理士1級です。でも 落ちこぼれなので あんまり質問しないでね(笑)
関西在住。趣味はピアノ(ショパン大好き!)歌うこと・旅行・食べること!
でも、キュウリとアンコは嫌いです(笑)
好きなピアニストは クリスティアン・ツィメルマンとマウリツィオ・ポリーニ。こんな私ですがよろしくお願いいたします☆

サンディ
sandyblog.jpg
チョボ
cyoboblog.jpg
小鉄
kotetublog.jpg
佐助
sasukeblog.jpg
くーちゃん
ku-cyanblog.jpg
あんず
anzublog.jpg
ヤムヤム
yamuyamublog.jpg
チャチャ
cyacyablog.jpg
グレ
gureblog.jpg
ライス
riceblog.jpg
リオ
rioblog.jpg
チーちゃん
chichan1blog.jpg
月乃
tukinoblog.jpg
白田君
sirotakunblog.jpg
茶太郎
cyataroublog.jpg
グレコ
grecoblog.jpg
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
リンク
お気に入りDVD
お薦め CD♪
見てる?
現在の閲覧者数:
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード