気持ちの整理。


抗がん剤治療は3回受けました。
皆様にたくさん祈っていただき、応援していただき、
サンディの持つパワーを信じてくださってとても感謝しています。
ただ・・・
このところ、日に日に具合が思わしくなくなってきています。
水曜日の通院日。予定では抗がん剤治療になっていましたが、
私は最初から受けずに連れて帰るつもりで行きました。
嘔吐が起こり出した事。
多分、また体重が減っているであろう事。
彼女自身の元気が戻ってこない事。
これらを考えた時、数値的にどうであろうと、治療は延期する。
そう思って病院へ行ったのです。
担当の先生も私と同じお考えでした。
体重は更に減って、今は2.1キロ。
この1週間の様子を聞かれて、先生は「先に延ばしたほうがいいように思います」と仰いました。
抗がん剤の副作用としては、白血球や赤血球、腎臓の数値など乗り越えているのですが、
それとは別に、サンディの状態が良くならない「何か」があるのかもしれません。
その「何か」がやはり老衰なのか?癌細胞が他のところへ悪さをしているのか?
わからないのです。
具体的な、コレ!という症状がはっきり出ているわけでもないのです。
大変な下痢をしているとか、毎回必ず嘔吐が起こるとか。
おしっこが出にくいとか。
そういう事はないのです。
ウン○はいたって正常です。
嘔吐は食べ始め、或いは完食後に起こりやすいのですが、
これも1日4度の給餌の中で1度ほどです。
嘔吐後にやり直した給餌は問題ないのです。
嘔吐のきっかけ、原因がこれではわかりません。
ストレスなのかもしれませんけどね。
排尿も正常です。
他の臓器が問題あれば、何らかの形でもっと症状が目に見えてくるはずですので、
今の段階では、副作用か、癌細胞そのものが原因なのか、老衰なのか?
断定が出来ないのです。
私は治療の始めに、出来るだけ効果が出て欲しいと願い、
副作用の点も確認して、5種類の抗がん剤治療を希望しました。
そのうちの3種類を実施したあと、残り2種類はやめることにしました。
そして、この水曜日に相談した結果、
注射も暫くはとりやめにし、ステロイド(隔日投与)だけで様子を見ることにしたのです。
副作用が影響しているなら、出来るだけ治療内容を軽くしてあげたいですから。
でも、その反面、癌細胞が活発に動き出すかもしれないというリスクもあります。
どちらを取るべきなのか・・・と考えた時、
私は、今この時間を大切にすべきだと思いました。
抗がん剤の副作用でも、癌細胞のせいでもなく、
もし、本当に老衰が重なって、日に日に痩せて食べなくなっていくのなら、
抗がん剤の治療はもうある程度削ってあげた方がいいだろう。
老衰が原因で癌を発症するパターンはあるそうですね。
どちらが先に起こったのか・・・そんな事は事実がわからないので考えても意味がないのでしょうね。
私は今でも、サンディの持つパワーは信じています。
強く祈り、強く信じ、深く愛する心で毎日彼女を見つめています。
だけど、どうしてもどこかで、気持ちの整理をしておかなきゃと思うのです。
諦めたわけではありません。
でも、無理に思い込むのは辛いのです。
かなり長文になります。ごめんなさい。
私はこれまでの年月で、10数匹の家族を見送ってきました。
ネットで始めの頃にお友達になってくださった方が知っていらっしゃるのは、
HPを始めて9ヶ月ほどして亡くなったチョボが最初でしょう。
それから、グレ達の兄弟だった「おたべ」や、小鉄・佐助。
古くからのお友達は、私のHPやブログで、
猫達の旅立ちを何度も目にされてきたと思います。
私はこれまで猫達の看病をほぼ1人でやってきました。
最近でこそ、夫は強制給餌や投薬のやり方を覚えてくれましたが、
以前はまったくで、私がすべてやっていたのです。
介護することは悲しい、辛いという思いがあっても、
いつか良くなるから!という希望を持ちながらやっていました。
でも、それが叶ったことがないのです。
治療すれば治るという病気なら、何度も経験していますが、
そういう病気ではなく、「原因不明」「白血病」「腹膜炎」など、
治癒が困難な病気の介護では、希望を打ち砕かれ続けてきました。
私の心の中にトラウマがあるとすれば、
亡くなった事についてではなく、
介護のしんどさなのだと思いました。
希望を打ち砕かれた時の辛さ。。。それが私の言う「しんどさ」です。
なぜ良くなって行ってくれないのだろうという不安。
それが毎日毎日続き、希望を持ちながら行っているにも関わらず、
いつも私の心に重くて暗い闇が底なしに口を開いているようで、
そこに落ち込んでは這い上がり・・・を繰り返しました。
その精神的なしんどさは、口では言い表せないものです。
実際に給餌すること、投薬すること、通院すること、
寝ずに様子を見ていること・・・。
これそのものの行為がしんどいのではないのです。
こんなに頑張ってくれているのに・・・という、
結果が目に見えてこない事がしんどいのです。
サンディがこういう状態になり、私はこれではいけないと思いました。
私は休まなかったのです。
チョボ達よりもっと前に亡くなった銀やテン、マウなどの看病の時からずっと。
今の今まで、介護しても駄目だったという辛さを癒すための休みを、
しっかりと取ってこなかったのですね。
ペットロスとは、それはちょっと違う感じです。
亡くなったことは受け入れられるのです。
それが天寿だったと納得させることも出来ます。
しかし、毎日の闘いに疲弊し続け、
祈るような気持ちで臨んでも、心が折れ・・・。
その心の疲れを取り去れないうちに、サンディの癌が発覚しました。
もう1人で抱える事はできない。そう思いました。
強制給餌の傍らで、夫が本を読んだりしているのを見て、私は暴れたのです。
地団太を踏み、声を荒げ、泣きじゃくり、叫びまくったのです。
猫達はみなびっくりして避難しました。
言えば手伝ってくれる優しい夫ですが、言う前に手を貸して欲しい。
私は気持ちの疲れをこのまま引きずるのは、もう耐えられませんでした。
もっときちんと休むべきだった。
私はそう言いました。
私は決して乗り越えていなかったのです。
サンディと、あんずたちとの就寝は、交代で行うことになりました。
あんず達と寝る時は、寝た方がトイレ掃除やご飯の入れ替えもすることにしました。
サンディの世話をしながら、それまで私が部屋に戻ってすることは、もう疲れ切って出来ないのです。
きちんと担当制にして、私は精神的な疲れ・・・
いや、疲れというより、1人でこの状況に立ち向かう寂しさを打ち消したいと思ったのです。
こっちは私がやってるから、そっちは夫がやってくれている。
それだけでもずいぶんと違うのです。
介護は本当に大変です。
経験されたことのない方には想像もつかない過酷がことが待っている場合があります。
介護する作業のしんどさではなく(もちろん体力的にしんどいことはありますが)、
心の不安が一番大きいのです。
その疲れを蓄積してしまった結果、私は暴れてしまったわけです。
このところ、サンディは散歩に出ても、殆ど歩きません。
すぐにへたりこみます。
それは過去に他の子の看病で見た光景でした。
小鉄です。
あの時不安に思った気持ちが蘇ってしまいます。
今見ていることを冷静に受け止めて、
これからの事を考えねばと思っても、ため息しか出ません。
彼女の前では普通にしているつもりですが、
きっと私の不安な気持ちは察しているのかもしれませんね。
散歩に出るとそういう具合なので、
最近は抱っこして毛布にくるんでやったまま、私の膝の上で休ませています。
何かを考えているような、いないような眼差しのまま、
サンディは庭を見つめています。
呼びかけても反応が無い時も多いのですが、
鳥が鳴くと、ハッと顔を上げることもあります。
給餌の途中で外に行きたがる時だけ、足取りは軽そうに見えます。
そういう姿を見るとほっとするけど、
その後の様子を見ると不安で一杯になります。
私自身の気持ちのアップダウンが激しいので、
つい夫に当たってしまうこともあります。
抗がん剤治療を延期したことでどうなるのか。
もう賭けとしか言いようがありません。
給餌をするのが怖い(嘔吐したらどうしよう)
投薬するのが怖い(合わなくて嘔吐したらどうしよう)
この2つの不安はいつも付きまとっています。
私は決して、決して強い人間ではないのです。
今後の事、現実から目を背けず、
しっかりと見つめて考えていきたいと思います。
サンディが少しでも良くなることを信じつつ。
私を襲う不安の波に飲み込まれないようにしながら。
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