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ねこものがたり♪グレ&ライス&リオ+おたべの話。

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サン・チョボ家の歴史も、今回で最終回です。
今以上に増えることは無いだろうということで・・・
もし増えたら???

いやいや、もう無理だから(笑)

上の写真は隠居時代のアナログテレビに乗るグレ・ライス・リオ。
このテレビはまだ猫座敷で使っています。そろそろ買い換えねばね。

グレ達の保護日記は、「旧ねこものがたり♪」の2006年6月の記事に纏めなおしています。
長い記事なので、ここで改めて書くことは致しません。
2005年6月に、農業倉庫で村の人に母猫と共に発見され、
全部で6匹の兄弟であることがわかり、
一週間通い詰めて全員保護したのでした。

そのうちの3匹が、今ここにいるグレ達です。

母猫と残りの2匹は義弟の家で暮らしています。

保護した時は生後2ヶ月ほどでしょうかね。
病院で、およその誕生日を決めてもらいました。
4月10日生まれになりました。


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保護して数日後かな。グレが一番慣れるのが早く、
玩具にもよく反応をしめしていました。
毎日1匹ずつの割合で兄弟達が倉庫から保護されてやって来た時は、
グレが落ち着かず不安がる兄弟を舐めてやっていました。
すると、パニックになっていた子達も、自分の兄弟がいるって気づいてくれたんです。
母猫を保護できたのは最終日だったので、
それまでの1週間、子猫達だけだったから、とても不安だったろうと思います。

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保護した年の冬です。
ケージの上のハンモック(勝手にハンモックにしてくれちゃった)にいるグレ。
ここにはライスと乗ることもよくありました。
当時はまだまだ体重が軽かったから出来たことですね。
今だったら・・・シーツがすぐに外れてしまったと思います。はい、重くて!

オープンな性格は仔猫の頃から変わらず、
見ず知らずの人と会っても、一番最初に寄って行く人懐こさがあります。
取引先の社長さんと会った時には、
社長さんのカバンの中に入ろうとしていました(笑)


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この怖い顔はライスです。
今のライスの顔と印象が違いませんか?
今もそれなりに可愛いとは思いますが、
この子猫時代の顔を見ると、もう少し別の顔に成長したんじゃ?と思うこともあります。
でも、目元はやっぱりライスですよね。

とにかく慣れない、懐かない。
保護してからも毎日怒り倒してました。
カ~~~!の威嚇が物凄かったのです。
大の大人の私でさえ、怖く感じました。
これ、絶対無理だな・・・懐いてくれないなとさえ思ったものです。

今ですか?もうベタベタしに来ますよ。
5歳を過ぎた頃から、ものすごく性格が変わりました。
それまで徐々に・・・だったのが、今は傍に行かないと怒ります(笑)


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もともとシーツをハンモックとして使い始めたのはグレです。
それをライスが見つけて、便乗!という感じだったのです。
ここには必ず毎日乗っかって楽しんでいました。
まさか、こういう風に使われるとは思っていなかった風除けのシーツ。
シーツを止めている洗濯バサミで歯を磨くのが日課でしたね(^^)


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これがリオです。
リオは兄弟の中で一番臆病でした。
なので、色々考えた結果、最後まで母猫と一緒にいさせておいて、
最終日に両方とも保護・・・という計画にしたのでした。
なにせ臆病すぎて、全然餌に釣られて出て来ない。
いいところまで来るのに、すぐに人の気配を感じて逃げ隠れてしまう。
母猫も、最後に残った子供なので、傍について離れなかったのです。
何とか一緒に・・・と思って試行錯誤しましたが、
結局、母猫はケージに、リオはキャリーケースに入れることが出来て、
大急ぎでグレ達の元へ運んだのでした。

これで全員揃った!と、あの時は本当にほっとしました。
母猫+子猫6匹の行き先は、とりあえず何とかしなきゃ・・・と思いましたが。

里親探しもしたのですけどね。
ろくでもなさそうな親子が1組名乗りをあげただけで、
あとはまったく手ごたえなし。
そのうち。。。いつものように情がすっかり移った私は、
グレとライス、リオを引き取ることにしたのでした。

保護した頃から2年近くは、会社の旧事務所で生活させていました。
そこに毎日通って世話をして・・・
大変だったなぁと思うけど、とても楽しかったですね。

そうそう、リオの尻尾は、サン・チョボ家でかつて無いほどの短さです。
その短い尻尾を一生懸命毛繕いする動画がありますので、アップしておきますね。








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ブログに登場することは無い子です。
亡くなった前後に記事が少しあるだけ。
グレ達の妹で「おたべ」と言います。女の子です。
保護して数日後、体調が悪くなり、検査も受け、結局手術が必要になりました。
でもダメだったのです。

保護した時から容姿が他の子達と少し違っていました。
尻尾の先の毛が毟ったようになっている。
それから、足の指が足らない・・・。目も悪い・・・。
検査の結果、障害を持っていることが分かったのです。

病院で亡くなったのですが、生まれて2ヶ月少しで母猫と別れなければならなかったおたべ。
これもまた、あまりに短い一生でした。とても不憫です。
その頃、おたべの生活をどうするか考えていたこともあって、
やはり亡くなっても数日一緒に居たのだからうちの子には間違いないわけだし、
きちんと愛護協会でお葬式を出しました。

戻ってきて安置したら、グレがそこに入り込んでしまった、その時の写真です。

おたべ。グレ達は元気でやんちゃで暮らしているよ。だから安心してね。


ところで、旧事務所は古くて環境が良くありませんでした。
床がとても冷えて底冷えが激しいのと、
古い建物なので、隙間風が入る。全体に気密性なんてなし!の部屋なのです。

冬に近くなってきた頃、さて、暖房をどうしたらいいのだろう?と悩みました。
日中はエアコンを入れていたのですが、
夜もずっと・・・となると、すごいことになります。
その頃は、夜はケージにちゃんと入って寝てくれるように躾けていたので、
コタツに入って寝れば?というのは出来ませんでした。
事務所は夜はグレ達だけになってしまうので、
そこで何かがあっても対処できない。
安全確保のためにも、人が居ない夜はケージに入ってもらおうと。

話によれば、オイルヒーターの方が光熱費が安い?らしいとのことで、
それを信じて、義弟の家から1台借りて使うことにしたのです。

ところがですね。
部屋の気密性が悪いので、最強にしても全然暖かくなっていなかった。
朝、事務所に行ってみると、部屋は冷たいまんまでした。

ああ、これは寒かったね、ごめんね。ダメだなこりゃ。

しかし、エアコンを春が来るまで毎日ずっと付けっぱなしは出来ません。
無い知恵を絞った結果・・・

熱効率が悪いのなら、良くするしかないと思いました。
それは、暖める範囲を狭くするという作戦でした。
部屋全体を暖めようとするから無理があるのだと。

よって夫に話して作って貰ったのが、コレです。

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昔の記事に載せた写真なので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが。。。

ピンクのケージにグレ達が入っています。
その前にオイルヒーターを置きました。
ケージの周囲は、ホームセンターで買ってきたパイプを組み合わせて枠にしました。
その枠に、シーツを張り巡らせたのです。
上の写真でハンモック状態になっていたのは、このてっぺん部分のシーツです。

要するに、シーツの中だけが暖まればいいってことで。

そうすると、最強の目盛りで作動させていたオイルヒーター、
省エネモードで弱の目盛りで十分だと分かりました。
ああ、我ながらなかなかのアイディアだ・・・(笑)

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眠る時はこうやってシーツを被せ、上には毛布をかけました。
中に手を入れると、ほんわかと暖かく、
私もここなら一緒に一晩過ごせそうと思いました。

この作戦で、光熱費節約、グレ達もポカポカ安眠の冬の夜を過ごせたのです。

まあね・・・毎日シーツをハンモックにされてぐちゃぐちゃになるので、
それを夜手直しするのが、ちょいと面倒でしたが(笑)

もう今はまったく必要がないこの作戦。
この時の、このパイプの枠は、洗濯物干しとして活用しております。

それから、エアコンとオイルヒーター、結局どっちが電気代安いのか、
今もってわからないままです。
どっちなんでしょうね?


グレ達も4月が来れば、もう6歳です。
あの時のすったもんだから6年かぁ。

小さかった彼らも、今は小太りになりました(笑)

あ、リオとライスに関しては、多少は軽くなったかも!
抱っこしてそう思いました。
なぜなら、先生からやっぱりダイエットを・・・と言われたからです。
少しはした方がいいなと思ってましたけど、
それを機に、ダイエット食に切り替えたので御座います。
そうねぇ。300グラム減ってくれたら良いかな。
太ると見た目はコロコロして可愛いですけど、
糖尿病になるし、検査の際、脂肪が邪魔をして触診が正しく出来ないという点が嫌ですね。
見た目より健康第一!ま、当たり前ですね。


これをもちまして、サン・チョボ家の歴史は終わります。
2代目たまの存在があったから、サンディ達が生まれ、
血の繋がりのある子達で一家を作っていたところへ、
保護したあんず達が加わり、野良のくーちゃんも参加して、
とても賑やかな一家になったのでした。

サンディが亡くなったことにより、本来のサン・チョボ一家は一つの時代を終えましたが、
今や立派?な兄貴分になったあんず。
後輩に舐められてたまるかと、意気軒昂のヤムヤム。
相変わらず一番赤ちゃんっぽいままの可愛いチャチャ。
物怖じせず、あんずに負けじと、夫のマッサージを要求する元気一杯グレ。
神経質だったけど、私にはとても甘えるようになったライスに、
ヤムヤムさえ恐れおののくほどの迫力を備えたリオ。

この6匹が今後のサン・チョボ家を盛り立ててくれると思っています。
だから、みんな長生きしてくださいにゃ。


長らく読んでくださってありがとうございました。


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ねこものがたり♪ヤムヤム&チャチャの話。

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サン・チョボ家の歴史も、今回を含めてあと2回となりました。

今日は、飲茶姉妹のお話です。

写真はヤムヤム。母屋に引っ越してからの写真です。
あ、ピンクの鼻の左側に黒いものが付いてますが、
決して「鼻〇ソ」ではありませんので!
彼女は途中から、ほくろが多くなってきたのです。
鼻の中にもありますし、唇の内側にもありますし、
肉球にもあるのです。よってこれもれっきとしたほくろです。


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こちらはチャチャ。これは隠居時代。
ああ、懐かしの?ニョロッパが見えております。
こんなに伸びてたんですよねぇ。


ヤムヤムとチャチャを保護したのは、8月半ばでした。
目が開いておらず、生後10日ほどとの先生の診断。
健康状態は問題なし。
保護したのはゴミ捨て場。会社帰りの夫が夜の雨の中、
必死で鳴き叫ぶヤムヤムの声を頼りに、ゴミ袋の山の中から見つけたのでした。


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この写真は何度目かな、載せるの。
直後の写真です。濡れた状態がわかるでしょう?
夏だったから良かったものの、冬の雨に当たっていたらどうなっていたことでしょう。

家の中には、家猫第一号になったサンディ。第二号になったチョボ。
そして、7月に保護したあんずにがいたので、
8月には一挙に家猫が5匹になってしまったのでした。

当初は、飲茶に関しては、里親さんを探す予定でしたが・・・
夫と話はしていたものの、いつの間にかうやむやになり・・・(笑)

だって、あまりに可愛かったのですもの。
ミルクを飲ませ、下の世話を3日もすれば、情がすっかり移ってしまい、
この子達が本当に幸せになるような人に巡り会うのだろうか?と思ったりして、
気がつくと生後2ヶ月を過ぎていました。
もうその頃は、激カワイイ~!の時期で、
「娘は嫁にはやらん!」という父親の気持ちが十分理解できた私なのでした(^^;)

結果、今年14歳になる飲茶姉妹は、あんずと共に本当の3兄妹のようにして、
今まで一緒に暮らしてきたのです。

ヤムヤムは赤ちゃんの時から積極的な性格。
ミルクを飲むのもそうでした。
チャチャはとても大人しく、何から何まで反対だなぁと思ったものです。
あの夜、ヤムヤムの大きな鳴き声がなかったら、
チャチャの声では絶対聞こえなかったと、夫が言っていたくらいです。
一緒に捨てられてまだ良かったな・・・と、変な言い方ですけど、そう思いました。


成長するにつれ、ヤムヤムはますます元気活発に。
そして、いつの頃からか、私と見詰め合ったり、
名前を呼ばれたり、撫でて貰ったりするだけで、涎をたらすようになりました。

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これも以前載せたものですが・・・。
ボタボタとたくさん出るのです。嬉しいと出るのです。
普段はもちろん出しません。
落ち着きがちょっと足らない性格で、歩く時も、どちらかと言うと浮き足立った?感じ(笑)
私が、キャットタワーの天辺とテーブルの上を交互に指差すと、
その指に合わせて、タワーにジャンプし、テーブルの上にダイブします。
14歳になろうというのに、若い猫と同じ軽さで飛び上がったり飛び降りたり。
筋肉が若いのでしょうね。骨も丈夫なのでしょうね。
見た目より体重があるのですが、きっと骨太なのですね(笑)


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こちらはチャチャ。これも隠居時代のものですが、
下から4段目くらいの箪笥の抽斗を、
どうやってあけたのかわかりませんが、勝手に開けてもぐりこんでいたのです。
立ち上がっても、チャチャの頭が届くかどうか?の位置なので、
立ち上がったまま、何とか前足を使って抽斗を開けた?のかなあ?
でも、それって人間技じゃなかろうかと、今も不思議に思います。
とても重たい抽斗なので、私でも力が少し必要なのです。
細い細いチャチャの前足が両方とも届いたとしても・・・
引き出すのは難しいと思うんですけどねぇ。

でも、そこまでして潜りたい!
それくらいチャチャはあちこち潜るのが大好きです。


姉妹揃って体質が似ているのでしょうか。
肛門の嚢に膿が溜まりやすく、破裂をしています。
最近は落ち着いていて、絞る必要はないですよと、先生に言われました。
それから、歯が溶ける病気にも、姉妹揃ってなったことがあります。

あと、お腹の毛も、最初はチャチャの方が薄くなってきて、
気づくとヤムヤムも同じように薄くなっていました。

あ、最近のチャチャの激しい舐め舐めはなくなり、
カラーも洋服もおパンツも箪笥の中で眠っています(^^)
ヤムヤムはそういう行為がなく、薄くなってきたので、
似たような体質なのかなと思っています。


赤ちゃんの時から体格が少し違っていました。
ヤムヤムの方が頭も顔も大きい。
チャチャはとても小さいです。
顔の「濃さ」にも差がありますよね。
ヤムヤムは昔流行った言い方をすると「ソース顔」。
チャチャはどちらかと言うと、あっさり系で「しょうゆ顔」かな(笑)


生まれて10日ほどで私と出会い、
目が見えるようになった時に初めて見たのが私であり、
そのせいか、私を同居人というよりは、母猫そのものに近い感覚で見てるようです。

赤ちゃんの頃から一緒に育った兄代わりのあんずとはとても仲良しです。
グレ達に対しては・・・同居してるけど、ちょっと気に入らないと思ってるみたい(^^;)

8月で14歳。ぜひ、若さと可愛らしさを今後も保っていってもらいたいですね。

ちなみに、名前の由来ですが、単に私が食いしん坊なので、
「飲茶」を意識して付けたのでした。
外国の推理小説に、猫が活躍するシリーズがあり、
登場猫の1匹はヤムヤムと言うのですが、
それとはまったく無関係です。
なぜなら、その小説を知ったのは、飲茶を保護してからずっと後だったからです。


最終回は、グレ・ライス・リオ+おたべの話です。


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ねこものがたり♪あんずの話。

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画像の状態が悪くてすみません。

今日はあんずのお話です。

この写真は、保護して家に連れ帰った直後の写真です。

以前にもあんずの保護の話は書きましたので、かいつまんで・・・

13年以上前のある日、買い物に行く途中であんずを見つけました。

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普段あまり通らない道を通って見つけたのです。
危ない場所にへたり込んでいたので、買い物を中止して病院へ。
そのまま我が家の子になりました。

あちこち汚れがついていて、汚かったですよ(笑)

あっという間に大きくなったあんずですが、
保護した時から性格は非常にオープンな子だと判明。
当時、お世話係だったチョボにまとわりつき、
蹴りは入れるわ、齧りつくわ、やりたい放題の仔猫ちゃんでした。

1ヵ月後には飲茶姉妹を保護したので、お兄さん格に昇格。
しかし、頼りになるお兄さんとは言えず・・・
どちらかと言うと、落ち着きのない?性格に育ってしまいました(笑)
どこかで運動会があると、必ず参加。
おやつの袋の音がすると、猛ダッシュでやってくるなど、
バーゲン会場に突進するおばちゃん顔負けの勢い。
食いしん坊万歳の性格は、私譲りかもしれません(笑)


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数年前の写真ですが、隠居に住んでいた時代。
家に来た母がお鮨を買ってきてくれたのですが、
鮪に目がないあんずの視線の先には・・・。

しかし、こやつは、鮪からエビに好物が移りました。
レンジで冷凍エビを解凍していると、レンジに張り付く。
お好み焼きにエビを入れると、必ずホットプレートの傍に陣取る。
ホットプレートでお鍋をする時も、
あんずの頭の中では「ホットプレート=エビ」となってしまったようで、
エビがないのに、条件反射のように傍に陣取ります。
多分、好物への執念は、サン・チョボ家で一番強いでしょうねぇ(^^;)

あんずの名前の由来は特にありません。
最初は「大豆」にしようかと思っていたのですが、
あんずの方がなんとなくいいなと思ってそうしました。
名前のせいか、病院でも最初は女の子と思われたりしたあんずです。


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これも隠居時代。私がお風呂に入っていると、一緒に入って蓋の上に乗りたがりました。
夏場はよくこうやって一緒に入っていましたよ。
母屋に越してからは、お風呂の建物が別棟になってるので出来なくなりました。


保護した時は生後40日くらいかな?と先生が言われたのですが、
1ヵ月後にはびっくりするくらい大きくなり・・・

あれから13年が過ぎ、

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これですもんね(笑)

今年の6月1日が仮りではありますが、14歳の誕生日です。
2年ほど前には、慢性胃腸炎で猫生初の内視鏡検査を受けましたが、
あれから投薬の効果が出て、今では落ち着いています。

2代目たまの血を引く子以外を育てることになった初の室内飼い猫あんず。
サンディとのプロレスには勝てずじまい。
グレに毛繕いをして貰う上に、途中で耳を噛まれて「ギャン!」。
チャチャが大好きで、いつもべったり。
夫のマッサージがないと生きていけない。
ワンコさんのように「ステイ」が出来る唯一の猫。
布団の上から遠慮会釈なしに、私を踏んづけまくる猫。
天衣無縫なあんずです。


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グレ達を保護して暫くして、家にお試しで連れてきた時の写真。
グレはまだお乳が恋しかったようで、あんずにしがみついていました。
この後・・・あんずに蹴られました(笑)

あんずも初めてだったんですものね、チビ猫にお乳を吸われるなんてこと。
今では、グレの方が気も強くなり。
元々あんずは気が強い猫ではありません。
だから耳を噛まれても怒れないのでしょうねぇ(笑)

とにかく、今後も元気でいてもらいたいものです。



☆電気代が!!

去年の8月から姑が再入院しております。退院の目処はまだ立っていません。
入院中なので、姑がすむ家の電気代は、基本料金他、洗濯物を洗う時に洗濯機を使う、
他の家電の待機電力などと、2千円前後の金額がずっと続いていました。

ところが、今回の使用量明細を見てびっくり!!
住んでいないのに、13000円以上の請求が来たのです。

ええ?なんでぇ~~~~!!!!???

咄嗟に「電気・・・盗まれてるんじゃ?」と思ってしまいました。

うちの家は、建物が蔵を除くと5つ建っています。
そのうちの1つは会社の事務所と義父の事務所です。
ここの電気が一体どこへ引き込まれているのか、実はよくわからないのですが、
以前聞いた話だと、隠居に含まれているとのことだったので、
事務所のエアコン代・・・でもないよなぁ・・・と考えていました。
じゃあ、この金額は一体・・・?

その明細を見ていた時、取引先の設計事務所の社長さんから電話があり、
お会いする用事が出来たので、来られた際尋ねてみたのです。
「この事務所の電気って、一体どこへ引き込まれてるんでしょう?」

昔からの配線など一杯あって、私では線を追いきれなかったのです。

結果、事務所の線が姑の家に入っていないことだけはわかりましたが・・・。

事情を説明して、この金額が腑に落ちない・・・と相談すると、
「関電に連絡してみましょうか」と言ってくださったのでお任せしました。

それが一昨日のことです。

そして、昨日、夫に、事務所の配線がどこへ続いているのか確認してもらいました。
そして、姑の電気のメーターもどこについてるのか見つけてもらいました。
実は全然気づかない場所にあったのです。
そのメーターを私が観察して、夫が姑の部屋の家電のコンセントを抜き差ししたりして、
一体何が電気を食っているのか・・・調べてみたのですが。

なんと、買って1年ちょっとの冷蔵庫でした(--;)

姑が引っ越す際、買いなおしたのです。
元々古くて背の高い冷蔵庫しかなかったので、
腰が曲がった姑には不便だろうと、背が低めの冷蔵庫を買ったのですが、
そのコンセントを抜くと、メーターの回り方が凄く遅くなり、
入れると、ガンガン回りだすのが判ったのです。

もう~びっくり・・・。
冷蔵庫、故障してるのでしょうね。
冷蔵庫のコンセントを入れた時のメーターの回り方は、
猫座敷と私の寝室で使っているコタツ2台、ホットカーペット1台、
ペット用コタツ1台、台所の冷蔵庫と他の家電の待機電力など、
それに匹敵するスピードで回ったのですから。

即刻、冷蔵庫のコンセントは抜きました。

誰も住んでないのに、1万超えの電気代・・・原因がわかってよかったのですが、
修理に出すにしても、保障期間1年でしたし、
無い間不便ですしねぇ・・・困ったものです。
こんなハズレの家電は私にとっても生まれて初めてでした。

とりあえず、原因がわかったので、社長に連絡をしておきました。
すると「関電に減額できるか言ってみます」と言われたのです。
ガスや水道など、漏れや事故などが原因の場合、減額してくれるケースがあるそうですね。
この場合、家電の故障に気づかなかったのでどうなのかわかりませんが、
「駄目もとで言ってみます」と仰ってくださいました。

仕事と関係ない個人宅の電気代の事なのに、なんとご親切に・・・。
ありがとうございます。

いやいや、しかし、皆さんもご注意下さいね。
姑の冷蔵庫、決して冷えてないってことはなかったのですよ。
だから故障してるなんて、たまに見るだけでも気づきませんでした。

なーんか必要以上に電気代が高い?って思ったら、
家電の何かに不具合が・・・ってなこともあるのですから。

ああ、それにしても、電気泥棒じゃなかったことは良かった・・・です(笑)


次回はヤムヤム・チャチャのお話です。

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ねこものがたり♪くーちゃんの話。

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この回からは、2代目たまの血を引く子ではなく、
血の繋がりはないけど、サン・チョボ一家の一員になった猫達を書いていきます。

今日は、その中でも一番の古株だった野良猫くーちゃんのお話です。

上の写真は、会社の事務所前でくつろぐくーちゃん。
写真に入っている文字の意味、以前からのお友達ならお分かりでしょう。


くーちゃんは、気がつくといつの間にか小鉄たちに混じっていました。
どこからともなく、毎日やってきては、ご飯を待っていたのです。
その頃の私は、特別何とも思わず、
「あ、要るの?ご飯」と言う感じで、一緒に食べさせていました。

小鉄達もなーんにも文句を言わなかったからです。

そして食べ終わると、その辺で休憩した後、
またどこかへふらりと消えていきました。

それが毎日続き、雨の日も風の日もカンカン照りの日も、
殆ど休みなく通ってきました。

私が記憶している限り、13年近くはご飯をあげていたと思います。
2007年のGWにモリモリ食べた後、ぷっつりとやって来なくなったのですが、
あれから今年で4年になろうとしていますから、
無事でいれば、17歳にはなっているという事になりますね。

ほとんどサンディと変わらない年齢です。

野良猫さんだったので、毎日顔を合わせても触ることが出来ませんでした。
腰がものすごく低いのに、人間に触られるのは嫌だったのでしょう。
小鉄達とはとても仲良くしてくれて、
我が家の庭の用心棒として、他の野良さんを追い払ったりと活躍していました。


一時期、この周辺のボスとして君臨していた時期もあったようですが、
その分怪我も多い子でした。
ある時なんか、顔の右半分がズル剥け状態のままやってきて、
それはもう、びっくりでした。
足も怪我をしているし、顔もズル剥けだし・・・
捕獲して病院へ行きたかったのですが、それもままならなかったので、
その時はお薬だけ貰って、ご飯に混ぜて何とか治すことが出来たのでした。

でも、どんなに怪我をしていても、
基本的に食欲は旺盛。怪我の大半は自力で完治させるというツワモノでした。

そんなくーちゃんは、サンディが大好きで大好きで。
以前にも動画を載せましたが、毎年季節が来ると、
プロポーズに必死。でも報われる事はありませんでした。

性格は穏やかで出しゃばらず、ご飯を貰う時もがっつくことはせず、
大人しく小鉄達の後ろに並んで待っている子でした。


そのくーちゃん、老齢になったころ、
夏になると毛並みに異変が起こるようになりました。

上の写真と下の写真の比較。これも皆さんご存知でしょう?(笑)


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春先から徐々に茶髪に覆われていくのです。
その範囲が年々広がってきて、この時は3分の2ほどが茶髪に。
そして、冬が近づく頃には、黒猫さんに戻るのです。
最初の数年は、ただの黒猫さんだったのに、年のせいだったのか何なのか。
この茶髪、毎夏我が家の名物になっていました。


猫は外で出会うと、見知っている人でも赤の他人に見えるとかで、
飼い猫ですら外で出会って声をかけても、逃げちゃう・・・なんて話を聞くこともありましたが、
くーちゃんは、かなりテリトリーが広く、
一度、思いもかけない場所で出会ったことがありました。
「くーちゃん!」と声をかけると、彼は私に気づいて、
すたこらさっさと家まで付いて来たのでした。
ちゃーんと私だとわかったのですね。


くーちゃんは、野良猫さんの中ではとても行儀が良く、
うちの子達とは一切喧嘩もせず、
いつも一歩下がって大人しく、でも喧嘩は強く、怪我にも負けませんでしたが、
最後の冬。目に異常が見られるようになり、初めて捕獲に成功して病院へ行ったのでした。

入院治療が必要で、初めての捕獲、入院と、くーちゃんにとっても大変だったと思いますが、
何とか乗り越えてくれました。
その時、生まれて初めてワクチンも打ってあげたのです。
それが13年目だったでしょうか。
それまで予防接種も何も出来なかったのに、よくぞ伝染病にもかからず、
怪我だけで済んだもんだ・・・と、くーちゃんの体力と運の強さには今でも感心してしまいます。
そして、いくらご飯を毎日あげてきたからと言っても、
基本、野良猫さんです。でもすごく長生きですよね。


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くーちゃんを他の子達と同じように、たくさん写真に収めることはなかなか出来ませんでしたが、
その中で、くーちゃんの性格を物語る写真として、私はこれを一番に選んでしまいます。

自分用のベッドもあるのに、佐助のベッドに入ろうとしたくーちゃん。
中に佐助が寝ていて、くーちゃんの進入に「く~・・・」と鳴き声で抵抗した佐助。
その声を聞いたくーちゃんは、半分だけ体を入れて、そのまま数時間寝ていました。

決して佐助を押しのけたり、追い出したりなど致しません。
でも、ちょっとだけ入れてね・・・って感じのこの控えめさ(笑)
くーちゃんは本当に良い子でした。
色んな野良猫さんに会った私ですが、性格ではイチオシ!大好きです。


さて。ぽんちゃんの性格はどんなだろうなぁ。
同じ黒猫さんでも、ぽんちゃんはかなり臆病そうです。
今朝も庭に居たそうです。

もうベッドに入ってる頃かな?
覗いてみたいけど、びっくりして逃げ出しちゃったら寒くて可哀想だから、
じっとガマンの私。

ん~・・・いつ目の前で写真を撮れるのか?(笑)


次回はあんずのお話です。

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ねこものがたり♪ジャッキー&クッキー&テン+マウの話。

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 サン・チョボ家の歴史。ちょっと日があいてしまいました。
昨年は佐助と銀の兄弟の話までしましたね。

今日は、2代目たまの娘の一人、ジャップが産んだハナ。
そのハナが産んだジャッキー、クッキー、テンのお話です。

上の写真は、生まれて一ヶ月ほどの頃かなぁ。
ハナが子供達を連れて私の元へやってくるようになったことは、
昨年書きました。

3ニャンのうち、ジャッキーだけが男の子です。

この3匹の中で一番早くに亡くなったのはクッキーでした。
彼女は、シャムと同じ種類の猫でした。
生後2ヶ月の頃、具合が悪くなり、通院しましたがダメでした。
とても大人しくて、先代のシャムと似たような性格だったように思います。


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これは隠居の台所の入り口で、ジャッキーと遊ぶクッキーです。
ちゃんと成長していたら、きっと素敵な子に育っただろうなと思うと残念です。
当時は動物霊園や葬儀などに対して知識もなく、
そういったことをしている場所が周囲になかったので、
彼女だけは庭で眠っています。


クッキーと一緒に遊んでいた、このジャッキーは、
小鉄の色を完全に引き継いだ子でした。
ハナが、小鉄の父・小太郎と仲良くしているのも見たし、
もしかしたら小鉄とも・・・と思えるシーンも見ているので、
実際はどちらが父親なのかわからないのですが、
どちらにしても、色柄は完全に同じでした。
とても性格が優しくて甘えん坊で、
うちに来るようになってから、すぐに私に甘えるようになりました。
覚えているのは、私が外の水道で洗い物をしていると、
彼は小さな体でヨチヨチと私の体を登っていって、
肩の上にちょこんとのっかって「アッアッ♪」と可愛い声で鳴いていたことです。
彼は不慮の事故で4ヶ月ほどで他界しました。
あまりに悲しくて辛くて、今もって何も書く気が起こりません。
生きていたら、小太郎・小鉄に続いて3代目の魅惑的な毛皮の持ち主になっていたであろうに・・・。
本当に可愛い性格の子でした。


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母のハナと、よくこうやって家の中に入ってきては遊んでいましたよ。


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テンは一番長生きしましたが、それでも5年4ヶ月という短さでした。
彼女の場合は、伝染性腹膜炎にかかったのが原因です。
ウエットタイプだったので、みるみる腹水がたまって、
お腹に何匹子供がいるのだろう?というくらい大きくなりました。
腹水は、あまりたまると呼吸困難を引き起こすことがあるので、
針を刺して吸い出すなどの処置が必要だそうですが、
彼女を当時診察してくださった1軒目の先生は、
腹膜炎だと検査結果が出る前から疑いを持たれ、
投薬を素早く開始して下さったお陰なのでしょう、
処置なしで自然に腹水がなくなることは考えられないと言われていたのに、
彼女の場合は、亡くなる前には綺麗さっぱり消えてしまったのです。
先生も奇跡だ、希望が持てます!と仰ってくださったのでした。

結果的には病魔に勝てなかったのですが、
苦しむことなく天寿を全うできたのは、先生の的確な素早い判断のお陰だと思います。

5年4ヶ月の付き合いの中で、彼女が私に甘えてきたのは、
小鉄と同じようにご飯の時だけで、普段は滅多に触れませんでしたが、
強制給餌が必要になって、一か八か自分でやってみた際、
病院では激しく抵抗してどうにもならなかったのが、
私が相手だと、何の抵抗もなく、いつもすんなり食べてくれました。
その時「この子はこの子なりに、私を見てくれていたんだな。信頼してくれているんだな」
と分かったのでした。

同じような経験は小鉄の時にもありました。

普段甘えてこないからって、懐いてくれてないとか、
看病が出来そうにないとか、そういうこと、頭から思っちゃいけないねと、
私はその時、心に刻んだのでした。


3ニャンとも、それぞれ短い一生でしたが、
おかあさんにおっぱいをもらって、一緒に遊んで貰って、
特にテンは亡くなる1年ほど前までは、母親のハナと庭で生活出来ていましたから、
彼女なりに幸せだったろうと思います。

クッキーとジャッキーに関しては、ぜひもう一度生まれ変わって、
今度は何の不自由もなく、幸せな猫生をたっぷり送って欲しい!
そう願っています。


それから、マウのことも書きましょう。

mau1.jpg

彼女は、チビだった佐助と銀を予防接種に連れて行こうとしていた時、
病院のすぐ近くの草むらで見つけて保護し、そのまま一緒に連れて行きました。
1匹だけで草むらで鳴いていたのです。

診察当時は問題なかったのですが、数日後様子が変わりました。
先生に見ていただいた結果、伝染病にかかっていることがわかりました。
予防接種で防げるタイプの伝染病だったのですが、
いかんせん、まだ生後2~3週間の子で、
保護直後に打てなかったのです。
彼女はすでに感染していたのですね。

発症してから毎日治療に通いました。
でも、結局ダメでした。
生後1ヶ月になろうか?というころ、私が眠っている間に旅立っていました。

縁あって保護したのですから、うちの子として葬儀を出しました。
お母さん猫はどうしていたのでしょう。
きっと兄弟もいたことでしょう。
たったひとりぼっちで怖かったでしょうね。

でも、保護してから亡くなるまでの数週間は、
私の家の中で、色んな子達に囲まれて楽しそうでした。

離乳が完全に終わっていない子だったので、
まだお乳が出ていたハナに預けました。


hanajackytenmau1.jpg

これがその時撮ったたった一枚の授乳写真です。
右隣はテン。左隣はジャッキー。間に挟まっているのがマウです。
テンたちは1ヶ月を過ぎていましたが、
ハナのお乳がまだ出てくれて助かりました。
ハナもまったく嫌がらず、世話してくれました。

ちなみに、マウとは、広東語で「猫」という意味です。確か・・・(^^;)

みんなみんな、今度はもっと長生きするために生まれ変わってきて欲しいです。



さて。例の黒猫野良さんの名前ですが、あみだクジをやってみました。

taneko4.jpg

その結果・・・ジャカジャーン!

taneko5.jpg

ぷりんさんがコメント欄に書いてくださった「ぽんちゃん」に決まりました!

ぽんちゃんは、昨日の朝、外のベッドの中から夫を見ていたそうです。
私は起きるのが遅いので、なかなか遭遇できず・・・(笑)
今度見かけたら「ぽんちゃん」と呼びますよ~♪

なお。さん、あやさん、くおんさん、よっちゃんさんも考えてくださってありがとうございました。

あ、えーっと・・・

一番端にある「新兵衛」は、夫に無理矢理考えさせたものです(笑)


☆餃子巻き・・・


以前の記事で、博多のおでんのパックを買って、
噂に聞いていたおでんの具「餃子巻き」を食べることができたと書きましたが、
昨日同じスーパーに行ったら、
お努め品の中に「餃子巻き」のみのパックがありました。
おでんの具~と書かれていました。

syokuji69.jpg

この前の博多のおでんに入っていた餃子巻きとは、外観が違います。
博多のおでんの方は、練り物の中に完全に餃子が埋まっていたのですが、
こちらは、揚げ餃子になったものが練り物の両端から覗いています。

ちなみに、この餃子巻きは博多のものではなく、
製造者は神戸の会社でした。
神戸にもあるの?餃子巻きをおでんの具に入れるのって。

も一つ・・・一昨日見ていた番組で、
おでんの具のランキングを当てるゲームがありましたが、
その中に「シュウマイ巻き」なるものがありました。
関東のコンビニのおでんの具のランキングだったので、関西では見かけません。

餃子にシュウマイ・・・。
練り物の中に2大中華料理が・・・(笑)

おでんの具、うちはこんなの入れまっせ~というのは皆さんありますか?
我が家はいたって平々凡々でございます。


サン・チョボ家の歴史。
2代目たまから続いた血族のお話はここまでです。
今後は血族ではありませんが、サン・チョボ一家に加わった猫達を纏めます。


次回は、くーちゃんのお話です。


テーマ : 猫のいる生活   ジャンル : ペット

ねこものがたり♪佐助と銀の話。

たまから生まれたジャップ。
そのジャップが2年目に産んだのは、佐助と銀を含めた5匹の猫達でした。

sasuke50.jpg

gin1.jpg


私が佐助達を見たのは、生後1ヶ月ほどの頃だと記憶しています。
いつ生まれたのか、日にちまではわからないのですが、
5月末には生後1ヶ月くらいだろうという大きさだったので、
5月1日を誕生日にしています。

5匹の小さな子達は、門の前でコロコロと転がって遊んだり、
トコトコと走り回っていました。
親のジャップがとても気が荒いので、
ハナの子達のように触る事はできず、
ただただ、可愛いなあと、遠目から見ているだけでした。

しかし、5匹のうち3匹は知らない間にいなくなっていました。
理由は分かりません。


佐助と銀が私の家にやってきたのは、私の誕生日の夜でした。
その頃は完全室内飼いの子達がいなかったので、
蒸し暑い夜、玄関を開け放していたのですが、
何かの気配を感じて玄関を見ると、
トコトコと2匹の子猫が座敷に向かって入ってくるのを見つけたのです。

ええ?っと思うまもなく、
後に佐助と名づけられた猫は、迷うことなくまっすぐ私の膝の上に登り、
くるくると回ったかと思うと、そこで寝てしまいました。
驚く私を尻目に・・・なんともスヤスヤと。

もう1匹は、警戒しながら部屋の中をうろうろし、
私と目が合うと、ささっとカーテンの陰に隠れるなどして、
まったく正反対の性格をしてるのだなと思いました。

その翌日からです。
2匹揃って、食事に来るようになりました。

なので、名前をつけなければと思い、夫に相談すると・・・
水戸黄門に出てくる「佐助」と「お銀」でいいじゃないかと言われ。
そうですね。そうしましょう。
ということで、佐助と銀になったのですが・・・

夫は銀のことを、女の子だと勘違いしたため、
お銀と名づけたのですが、男の子だったので、「お」を取って「銀」になりました(笑)

佐助は手足もがっしりしていて、これは大きくなるだろうと思いました。

生後7ヶ月頃、銀の様子がおかしく、病院へ連れ行ったのですが、
幽門部の病気との事で、手術が難しいらしく、
結局2年もの間、家猫(出入り自由)として看護したのでした。
食べたものを噴水のように吐く。
それが毎日でした。
吐かない時もあったのですが、いつ吐くかわからないので、
銀を世話している2年間、夜になるとあちこちに新聞紙を敷き詰めて寝ていました。

彼も佐助と同じように、甘エビが大好きでした。
缶詰、カリカリ、甘エビと、吐くことが多いので出来るだけ好きな物をあげていたのですが、
結局治ることはなく、2歳7ヶ月という短い生涯を家の中で終えました。

銀が亡くなったのは、夜中でした。
私が一度トイレに立った時には生きていたのですが、
その後、眠って朝起きたら・・・もう天国へ行っていたのです。
もっともっと傍についていてやればよかった・・・

病院の先生は、この状態で2年も生き延びたのは奇跡でしたよと仰いました。

神経質で臆病な銀でしたが、
私が横になっていると、いきなり頭皮で爪を砥いで一目散に逃げたことがあり、
その頃から、私との距離が縮まったように思います。

サンディやチョボによくくっついて寝ていました。
体が成長する事はなく、2歳を過ぎても生後1年も経ってないような体格でした。

その分、佐助は本当に大きく育ちました。
銀の分までしっかり生きたと思います。

佐助は、生涯庭で暮らしました。
一度も家猫になることを選びませんでした。
それは、庭に大好きな兄・小鉄が一緒にいたせいでしょうね。
どこへ行くにもべったり。
姿を見ると駆け寄ってべったり。
甘えん坊全開だったのです。

佐助も小鉄のように口内炎を起こすことが増え、
小鉄と共に通院も何度もし、歯石取りも行いました。
また抜歯も彼は沢山しています。
投薬も2年近く行いました。

そのお陰か、晩年の3年ほどは薬要らずになりました。

佐助の看病で一番大変だったのは、8歳になる直前、
原因不明で体調を崩し、どんどん痩せていった時でした。
それは11月~2月の寒い時期で、
通院が必要と言われ、捕獲するのに苦労したのです。
夜遅くでもいいから連れてきてくださいと言われたので、
とにかく捕まえねば!と思ったのですが、
その頃建っていた納屋の二階に身を潜めていたりして、
私は梯子を上って、床が抜けそうな2階に潜って探したり、
とにかくありとあらゆるところを毎晩遅くまで探す日々が続きました。
4時間もかかって捕まえたことも数回ありました。

原因は結局わからなかったのですが、
ステロイド注射などで2ヶ月ほど通い、ようやく元気が出てきて、
体調も戻り、食事も普通にするようになって、
無事に8歳を迎えることが出来たのでした。
彼はエイズ陽性と言われていたので、それが発症したのかとヒヤヒヤしたのですが、
それから7年近くを無事に生きたので、
エイズは発症しなかったのですね。
白血病にもかかりませんでした。
毎年きちんと予防接種だけは続けていましたから。

投薬も工夫が必要でした。
缶詰に混ぜても食べてくれない薬があったからです。
そういう時は、缶詰の中に薬を仕込み、
それを小さく小さく丸めて、その上にまぐろの切り身を小さく切って乗せました。
私はそれを「佐助鮨」と名づけています。
そうです。見た目がお鮨に良く似ているからです(^^)
通院が続くと警戒して暫く傍に寄らないので、
佐助鮨を佐助の前めがけて放り投げるのですが、
それを口に入れてくれることは10回のうち半分いくかいかないかと言う感じでしたね。


彼はご存知のように、15歳まであと1ヶ月というところで天国へ旅立ちました。
最後に私が見つけられるように、姿を現してくれました。
あれからもうすぐ8ヶ月になろうとしています。

14歳11ヶ月の充実した庭猫生活。
大好きな兄・小鉄より長生きでした。
兄弟の銀の何倍も生きてくれました。
甘えん坊で、おなか丸出しのおまぬけな寝相は一生忘れないでしょう。
本当に可愛い子でした。


sasuketen1.jpg

そんな佐助は、ハナが初産で産んだ中の1匹、テンという女の子に好かれていました。
テンがまだ6ヶ月くらいの頃の写真でしょうか。
佐助がテンにおっぱいを吸われている写真です。
この頃は、よくこうやっておっぱいを吸われていたのです(^^)
佐助とテンは、同い年ですが、1ヶ月ほどテンの方が遅れて生まれたと思います。


kotetugin1.jpg

こちらは、兄の小鉄と並んで寝る銀。
小さいでしょう?
まだ1歳になるかならないかの頃ですが、それにしても小さいのです。
この写真の時には病気が発覚していました。

本当によく頑張ったと思います。



☆いただきもの。

お友達のピエールさん(猫息子はピエール。リンクにあります)から、
クリスマスプレゼントを頂戴いたしました。

pie-rusanyori10.jpg

ピエールさん手縫いのランチョンマットです。
刺繍入り♪

このランチョンマットは、サンディを思い浮かべながら作られたそうです。

pie-rusanyori11.jpg
刺繍のアップです。
ワタクシ、裁縫はとんとダメなので、出来る方が羨ましい限り。
ちょっと来年当たり、本でも見ながら何かチャレンジしてみようかなあ。
そんな気分にさせて頂きました(^^)

それから、猫達への贈物も。

pie-rusanyori12.jpg

ピエールさんの愛猫・ピエール坊やが大好きと言う玩具「コメット」です。
キラキラしていてとっても綺麗!色も綺麗ですね♪
みんな大喜びすると思います(^^)
年末でバタバタなので、元旦になって落ち着いたら、
これで目一杯遊ぶぞ~!みんな、楽しみにしててね♪
おやつもあるぞ~!良かったね、みんにゃ♪

ピエールさん、お忙しいのにお心遣い、本当にありがとうございました。

ランチョンマット、早速使わせていただきましたよ(^^)

syokuji68.jpg

昨夜の晩御飯です。
私がさぼったので(笑)夫が作りました。
可愛いランチョンマットのお陰で、いつもより食卓が明るくなりました。
ありがとうございました!



次は、ハナが産んだクッキー・ジャッキー・テンのお話です。


テーマ : 猫のいる生活   ジャンル : ペット

 いらっしゃいませ
プロフィール
HP「サン・チョボ家へようこそ」

家主です。

Author:家主です。
家猫6匹+庭猫5匹の母業にいそしむ猫バカです。愛玩動物飼養管理士1級です。でも 落ちこぼれなので あんまり質問しないでね(笑)
関西在住。趣味はピアノ(ショパン大好き!)歌うこと・旅行・食べること!
でも、キュウリとアンコは嫌いです(笑)
好きなピアニストは クリスティアン・ツィメルマンとマウリツィオ・ポリーニ。こんな私ですがよろしくお願いいたします☆

サンディ
sandyblog.jpg
チョボ
cyoboblog.jpg
小鉄
kotetublog.jpg
佐助
sasukeblog.jpg
くーちゃん
ku-cyanblog.jpg
あんず
anzublog.jpg
ヤムヤム
yamuyamublog.jpg
チャチャ
cyacyablog.jpg
グレ
gureblog.jpg
ライス
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リオ
rioblog.jpg
チーちゃん
chichan1blog.jpg
月乃
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白田君
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茶太郎
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グレコ
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